INSTANT KARMA

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結句、西村賢太

本の雑誌」2022年6月号は、「特集 結句、西村賢太という永久保存版。

ツイッターで発売を知り、本屋に走る。焦りすぎて売り場で少し迷って購入。分厚い。いつもの倍くらいページが多い気がする。

冒頭に藤澤清造全集内容見本全掲載」がきて、いきなり感動する。

担当編集者の愚痴交じりの貴重な証言満載の座談会に続き、賢太の作品にしばしば登場する朝日書林の荒川義雄店主へのインタビュー。

いろんな人の追悼文に加え、賢太の私小説を時系列に並べた「北町貫多クロニクル」など、気合の入った充実の内容だ。

この追悼特集で、やっと賢太の霊が浮かばれた気がする。

感想は、改めて書きたい。

AはAのA

もう十年以上前、ある資格試験の受験が終わって合格発表まで時間ができたタイミングで、それまで長年の懸案事項だった、肛門科の診療所を訪ねた。

若い頃から肛門の形が変だなと思っていて、鏡で見たら、通常は穴の周りに皺があるのが普通なのに、腸の先端が飛び出したようになっている。擦れると痛いし下着が汚れるので女性がナプキンを当てるように尻にティッシュを当てたりしていた。

学生時代に一度恥を忍んで診療所を訪ねたことがあったのだが、そのときは「脱肛している」と医者に言ったら、医者は怒ったように図面を見せながら「君のは脱肛ではない。痔でもない」と偉そうな態度で説明し始めた。何だか悪いことをしているような気分にさせられ、結局何の治療も受けられずに帰った。

以来、医者には行かず、何とかごまかしながらやってきたが、前述の事情で時間ができたおかげで、意を決して近場のクリニック(ネットで調べた、立正佼成会系のところ)を訪ねた。そこでは親切に診てくれて、「赤ん坊の頃に手術した跡があり、それは上手にやってあるのだが、縛ってある紐(?)が解けてきたのだろう」というような説明を受け、「出っ張っている部分を手術して切り落としましょう」ということになった。

実はそのクリニックを訪れる半年くらい前、実家の父親が心臓病の手術で大学病院に入院し、付き添いに行ったときに、母親から、お前は生まれたときに〈鎖肛〉という奇形で、未熟児の上、産まれてすぐ手術したので何週間も保育器に入ったままだったという話をされた。生まれてすぐ大きな手術をして、大量の輸血が必要になり、父親が血を提供してくれたのだという話は聞いていたが、鎖肛だったというのは初めて聞いた。

その知識があったので、クリニックで聞いたときにも動揺することはなかった。医師が「そのときの手術は上手だった」と言ってくれたのが何となく救いになった。

で、その一週間後くらいに手術して、長年の懸念事項が解決されたので感動した(もちろん手術後に切った傷が治るまで数日間は必要だった)。

そんなことが十年以上前の話で、去年あたりから、そろそろメンテナンスの時期というか、何かの処置が必要なのかもしれないという事態が生じ始めた。再び、出っ張ってきたのである。朝は二,三回トイレに行くことが普通なので、ウォシュレットとはいえ尻への負担がけっこうある。不定期に出血することもあり、血はすぐに止まるので何とかごまかしているのだが、いつか何とかしないといけないと思うようになっていた。

そしてついに、一大決心の末、半年くらい前から、トイレで用を足した後に、右手の中指で出っ張ったのを中に押し込むようにした。そうするようになってから、出血もほとんどなくなったし(先日久しぶりにあったがすぐ止まった)、下着が汚れる心配もなくなり、かなり快適に過ごせるようになった。たまに長時間歩いたときに少しはみ出して尻に軽い痛みを覚えるときがあるが、そういうとき以外は何の問題もない。

やってみれば簡単なことなのに、この歳になるまでできなかったのは、肛門を指で触ること、特に排便直後に触れることに禁忌的な抵抗感があったからだろう。風呂の中で触ることすら抵抗があってできなかった。

数か月前、思い切ってやり始めるときに、頭の中で「あること」をイメージするようにした。それは、美人の女医さんが後ろに立って、彼女の指で押し込んでもらうのを想像するのだ。この女医さんは、僕の中では、白衣を着たホジウォン嬢(Cherry Bullet)の姿である。変態と思われようが何だろうが自分の中ではジウォン様なんだから仕方がない。たまにTWICEのツウィだったり、VIVIZのウナだったりする。

ああいう、とびきりの美女が背後に立って優しく声をかけながら押し込んでくれるのを想像するだけで抵抗感が見事になくなり、かえって愉しみな作業へと変わった。排便の直後でも指はそんなに汚れないことも分かった。押し込んですぐトイレ内の手洗いの水で流せばほとんど匂いも残らない。ケツの穴には十代の頃から悩まされていたのだが、もっと早くにこうしていれば手術する必要もなかったかもしれない。

庄野潤三と小島信夫

庄野潤三『貝がらと海の音』などを読むと、これこそが「うるわしき日々」だよなあ、という感じがする。現実に存在する『うるわしき日々』という小島信夫の小説は、言葉の通常の意味において、タイトルと中身に著しいギャップがあると言わざるを得ない。

老年期に入った作家とその妻、そして家族の生活を描いた長編小説という点では共通するが、両者の間には何という違いがあることか。

同じ年に芥川賞を受賞し(プールサイド小景アメリカン・スクール」)、共にロックフェラー財団の招きでアメリカに一年留学し、帰国後に生涯の代表作といえる作品を書いた(静物抱擁家族)この二人の作家が、その後に歩んだ道のりのコントラストには、単なる資質の違いというものを越えた、ある種の運命的なものを感じる。

両者とも、初期の作品では結婚生活の危機が描かれている。

庄野の妻は結婚三年目、長女を産んだ一年後に睡眠薬で自殺を図る(未遂)。小島は、「抱擁家族」が私小説に近いとすれば、妻がアメリカ人と浮気して(夫の方も別の女性と浮気していた)、その後乳がんで亡くなる。

これらの体験が後に、庄野潤三の代表作とされる静物と、小島信夫の代表作抱擁家族としてそれぞれ作品化された。もっとも、「静物」においてはこの体験は小説世界の背景として暗示されるにとどまっており、「抱擁家族」では全体的にややカリカチュアライズされ、実験的に描かれているから、いわゆる純粋に私小説的な作品ではない。

庄野と小島の二人は、それぞれにこの代表作を完成させることで、個人的な危機と共に作家としての危機を乗り越えたといえるのではないか。それは大江健三郎「個人的な体験」を書いて長男の出産にまつわる危機を乗り越えたことにも似ている。

そして両者に共通するのは、いわば作品の中から社会的なテーマを取り除くことで代表作を完成させたという点である。

庄野は、「プールサイド小景」の中では巧みに描かれる現代サラリーマンの苦悩という社会問題を「静物」においては完全に消去し、その記述を純粋に家庭内の出来事に限定している。

小島は、「アメリカン・スクール」にあった対米従属というテーマを、「抱擁家族」では家庭内における問題(アメリカ兵と妻の浮気)の中に取り込むことでギリギリ社会性を保っているが、その後の作品においてこのテーマを掘り下げることはなかった。

要するに、作家の目を社会全体から家庭内の問題へと向けることで小説世界を切り開いていった。これと対照的な動きとして、松本清張らによる社会派推理小説の台頭があった。前者の傾向は次の「内向の世代」によってさらに推し進められた。

よくわからないが、戦後派の野間宏が目指した「全体小説」の構想が大きく分裂してこの二つの流れになったといえるのだろうか。

その後の家庭人生において、庄野と小島は対照的な道を歩むことになった。

庄野は、夫婦の危機を乗り越え、三人の子供たち、そしてその孫たちへと続く家族の発展とその生活模様を調和的に作品化した。長女と二人の息子はスクスクと成長し、結婚し、孫たちが生まれ、作家とその妻と暖かく交流する模様が描かれる。「静物」をさらに円熟させてもう一つの代表作「夕べの雲」を書き、その小説世界からかつての危機の痕跡は完全に消え去っている。

これに対し、小島は妻を亡くし、そのすぐ後に若い妻と再婚する。これが前妻との間の息子と娘のいる家庭に微妙な緊張と不和をもたらすことになる。娘は結婚し、親元を遠く離れて生活するようになるが、息子は、結婚し子供を設けたものの離婚、アルコール中毒となって家族から見放され、小島とその妻の尽力により何とか入院させるも、作家夫婦にのしかかる大きな重荷となる。息子は入退院を繰り返した挙句、アルコール中毒患者のための病院に収容され、そこで亡くなる。その頃には妻の認知症が深刻化し、やがて妻も施設に入る。晩年の小島の小説(「うるわしき日々」から「残光」までの一連の作品)は、認知症の妻と、同居する娘夫婦たちと関わりながら懸命に執筆活動を続ける作家の姿が赤裸々に描かれている。その筆致は、調和的というよりは乱調で、文体も構成も破綻一歩手前の実験性に満ちている。

面白いのは、小島の小説は、悲惨な境遇を描きながらも、どこか「突き抜けた透明さ」を感じさせ、庄野の小説は、そこで描かれる穏やかさに満ちた生活の中にどこか「突き抜けた透明さ」があるということだ。この「どこか突き抜けた透明さ」は、どんな環境にも左右されない作家の透徹した<眼>の存在がもたらすものであり、これが彼らの作品を身辺雑記でもホームドラマでもない「文学」として成立させている。

小林秀雄は、志賀直哉の文学について語る中で、この<眼>についてこう述べている。

慧眼の出来る事はせいぜい私の虚言を見抜く位が関の山である。
私に恐ろしいのは決して見ようとはしないで見ている眼である。
物を見るのに、どんな角度から眺めるかという事を必要としない眼、吾々がその眼の視点の自由度を定める事が出来ない態 (てい)の眼である。志賀氏の全作の底に光る眼はそういう眼なのである。

恐らく氏にとっては、見ようともしない処を、覚えようともしないでまざまざと覚えていたに過ぎない。これは驚くべき事であるが、一層重要な事は、氏の眼が見ようとしないで見ているばかりでなく、見ようとすれば無駄なものを見てしまうという事を心得ているという事だ。氏の視点の自由度は、氏の資質という一自然によってあやまつ事なく定められるのだ。氏にとって対象は、表現されるために氏の意識によって改変されるべきものとして現れるのではない。氏の眺める諸風景が表現そのものなのである。
(『作家の顔』新潮文庫、「志賀直哉論」)

庄野潤三小島信夫は文学をめぐって何度か対談しているが、いずれも七十年以前のもので、お互いの九十年代以降の作品をどう見ていたのか、興味がある。

小隊

田中小実昌の自伝を読んでいるが、平和ボケした自分には想像もつかない体験が次々にあの調子で描かれているのだが、十代から二十代にかけて戦場を体験した人たちも凄いが、就職氷河期以降の若い世代の社会からの追い詰められ方にもまた違ったキツさと切実さがあるのではないかなどと思う。

戦争を知らない世代が敢えて戦争を書く、砂川文次「小隊」(文春文庫)を買う。もっとも著者は元自衛隊員なのでまったく体験がない状態で書くのとは違うと思うが。

芥川賞受賞作のブラックボックスを読んですごくよかったので、この文庫も読むのが楽しみであるが。

I Want You

Man, no wonder our lives is caught up in the daily superstition that the world is bout to end

世界がもうすぐ終わるっていう迷信に日々俺たちが囚われるのも無理ないよな

Kendrick Lamar - A.D.H.D.

ケンドリック・ラマ―Kendrick Lamarの新曲がマーヴィン・ゲイMarvin Gayeの「I Want You」を下敷きにしていて、ブラックミュージック愛好者界隈で盛り上がっているようだ。

マーヴィン・ゲイの70年代の三大傑作「What’s Goin On」「Let’s Get It On」「I Want You」は、ぼくが生涯に聴いたアルバムのベストスリーでもある(最近はこれに「Here, My Dear」が加わった)。

I Want You」はもともとリオン・ウェアLeon Wareが制作中だったアルバムを、マーヴィンが自分が歌いたいと言い出して強引に引き継いで完成させ、マーヴィンの名で出したアルバムだが、あまりにも素晴らしいのでそんなことはこだわる必要もない。リオン・ウェアはその後に自身の名義で『Musical Massage』という傑作を出した。

今朝通勤時に久しぶりに「I Want You」を聴いていたら、涙が溢れてきて困った。悲惨なニュースを見ても心は痛むが涙は出ない。美しいものに触れるときに極端に涙もろくなっている。

ケンドリックの新曲の歌詞を読んでいたらまた涙が出た。彼は地域社会への貢献活動のさ中に銃弾に倒れた友人になりきって(イタコになって)ラップしている。

(訳詞はこのサイトから引用)

Should I feel resentful I didn’t see my full potential?

Should I feel regret about the good that I was into?

Everything is everything, this ain’t coincidental

I woke up that morning with more heart to give you

As I bleed through the speakers, feel my presence

To my brother, to my kids, I’m in Heaven

To my mother, to my sis, I’m in Heaven

To my father, to my wife, I am serious, this is Heaven

To my friends, make sure you countin’ them blessings

To my fans, make sure you make them investments

And to the killer that sped up my demise

I forgive you, just know your soul’s in question

I seen the pain in your pupil when that trigger had squeezed

やれたはずのことを成し遂げられなかったのを怒るべきなのかな?

熱心にやっていた前向きな活動も後悔するべきかな?

すべてのことに意味があるんだよ これは偶然じゃない

あの朝目覚めたとき もっと心を尽くすつもりだった

血を流す思いでラップした言葉がスピーカーから流れたら 俺の存在を感じてほしいんだ

兄弟たち 子供たち 俺は天国にいるから

母さん 姉さん 俺は天国にいるよ

父さん 俺の奥さん いやまじで ここは天国だから

友だちのみんな 自分の幸運をきちんと確認して

ファンのみんな きちんと投資してくれよ

俺の死期を早めた犯人へ

お前を赦す お前の魂が彷徨っているのがわかるから

お前が引き金を引いたとき 瞳に痛みが宿ったのが見えたんだ

(残りの部分を自分で訳してみた)

And though you did me gruesome, I was surely relieved

I completed my mission, wasn't ready to leave

But fulfilled my days, my Creator was pleased

I can't stress how I love y'all

I don't need to be in flesh just to hug y'all

The memories recollect just because y'all

Celebrate me with respect

The unity we protect is above all

And Sam, I'll be watchin' over you

Make sure my kids watch all my interviews

Make sure you live all the dreams we produce

Keep that genius in your brain on the move

And to my neighborhood, let the good prevail

Make sure them babies and them leaders outta jail

Look for salvation when troubles get real

'Cause you can't help the world until you help yourself

And I can't blame the hood the day that I was killed

Y'all had to see it, that's the only way to feel

And though my physical won't reap the benefits

The energy that carry on emits still

I want you

お前は俺に酷いことをしたが、お前の目を見て俺は楽になったのも事実だ

俺は自分の使命を果たした、この世を去る用意はなかったが

それでも充実した生を生きた、神も喜んでいた

お前ら全員を愛していると伝えたい

お前らを抱きしめるのに肉体はいらない

俺をリスペクトして祝ってくれ

俺たちの団結は何物にも代えがたい

それからサムよ、俺はお前を見守っているよ

俺の子供たちに俺のインタビューを全部見せてほしい

お前が俺たちの生み出した夢を全部生きてくれ

お前の頭の中の天才を発揮し続けてくれ

地元の仲間たちよ、善を広めよう

奴らの子どもたちやリーダーを刑務所から出してやってほしい

リアルにトラブルが起こったら救いを求めるんだ

自分自身を助けられるようになるまで世界を助けることはできないから

俺は自分が殺された日をフッドのせいにはしない

皆が直面すべきだ、それしか感じる方法はない

俺はこの世で報われることはなかったが

俺が放ったエネルギーはまた働いている

I want you.

ガンビア滞在記感想

庄野潤三ガンビア滞在記』は、ロックフェラー財団の援助留学生(?)として妻と共にオハイオ州コロンバスの郊外にあるガンビアという村で一年足らずを過ごした作家の滞在記である。
庄野が現地で交流した隣人の大学教授夫妻や学生、料理屋や理髪店の店主や客などとの交友関係がひたすら綴られていて、庄野自身が大学に通って何を勉強していたのかについては一言も書かれていない。まるでひたすら人間観察をするために滞在していたかのようだ。

1959年当時、まだアメリカに長期滞在する人は少なく、貴重な旅行記のはずだが、アメリカで暮らすとはどういうことなのかについて、大上段からの意見や抽象的な議論は完全に排除され、ひたすら著者が個人的に体験したことのみが書かれている。

まさに等身大の記録で、後年ノルウェーオスロに滞在した佐伯一麦が書いた『ノルゲ』という小説を思い出した。庄野潤三佐伯一麦の尊敬する作家の一人であることを知って深く納得した。
初期の佐伯は、妻との結婚生活の破綻を生々しく描く私小説作家だったが、再婚してから『ノルゲ』や『鉄塔家族』などを書くようになった佐伯一麦の目指す理想の小説家は庄野潤三なのかもしれない。


東京に住む男性の三人に一人が独身者であるとのニュース。
イーロン・マスクから「出生率が死亡率を上回るような変化がない限り、日本はいずれ存在しなくなるだろう」と警告された。
正規雇用に従事する労働者が多数となり、会社に就職して、結婚して、子供を産んで、子供が成長して孫ができて、年金と貯蓄で老後を豊かに過ごす、という人生のロールモデルが機能する時代は終わった。そんな恵まれた人生が可能だったのは、戦後の高度成長期を生きた世代だけだったのかもしれない。

そんな時代に書かれた小説と、今書かれる小説は必然的に違ったものになる。しかし、当時の表現のスタイルは今も同じ有効性を持つはずだ。佐伯一麦の小説はそのひとつの実例かもしれない。だが、もっと若い世代でリアルなものを書く作家が出てきてほしい。小島信夫庄野潤三のような視点を持った作家が。現代の若手作家でその視点を感じさせる作家はほぼいないように思う。

第80期名人戦七番勝負第3局

挑戦者の斎藤慎太郎八段(29)が繰り出した渾身(こんしん)の勝負手、△2五桂が渡辺明名人(38)の読み違いを誘い、劣勢に立たされていた斎藤が逆転勝利をもぎ取った。(毎日新聞

斎藤慎太郎八段は、過去のブログにも書いたが、七段時代に詰将棋教室で色紙を書いていただいた。直接お話ししたことのある唯一の棋士である。

その誠実な人柄やファンを大切にする暖かな対応ゆえ、たいへんファンの多い棋士の一人でもある。ぼくにとっても特別な存在である。

その斎藤八段が、二年連続で順位戦A級のトップとなり、二年続けて渡辺明名人に挑戦することになった今回の名人戦は、第一局、第二局を渡辺名人が制し、挑戦者が二連敗という非常に苦しい立場に追い詰められた。

しかし、5月7日、8日にかけて行われた第三局では、冒頭のとおり、中盤までは苦しい形勢だった斎藤八段が、一瞬の隙をついて逆転し、そのまま華麗に決着をつけた。

残り時間の差が大きく、終盤の入り口で名人は2時間余りを残していたのに対し、中盤に時間を使った挑戦者はすでに残り時間10分ほどになっていた。その中で粘り強く形勢を維持した中での劇的な逆転であった。

正直、二連敗したときは今期もダメか、と早くも諦めムードになりかけたのだが、第三局の対局前のインタビューでの表情が明るく、緩みがないのはもちろんだが、いい意味でリラックスして見えたので、もしかしたら、と思っていた。

やや劣勢で中盤から終盤に入るときに、持ち時間を惜しみなく使って最善を目指す姿勢には敬服した。

この勢いで、第四局もいい将棋を見せてほしいと一ファンとして期待している。