War Is Over

 if you want it

私小説

Others

昨日、「吉本隆明と小島信夫の対談は予想通りよく分からない話に終始。」と書いて終わったが、実はあのときは半分しか読んでいなかった。 今日、最後まで読んでみて、やはりよく分からなかったのだが、一か所だけ小島信夫の発言でハッとするところがあったの…

As Time Goes By

世界はすべて ひとりの太郎のためにある 世界はすべて ひとりの花子のためにある おほきな声でそれを言へばおれは殺されてしまふ けれどほんたうのことは/結局ほんたうだ 正義の発端はおれにある/人道の発端はおれにある それを知らないものをおれは信じな…

No Tomorrow

京都の古書店で注文した「岡田睦作品集」(宮内書房)が届いた。詳細な年譜や、短期間同居するなど〈弟子〉として遇された方のインタビューが掲載されていて、充実の一冊。 年譜を見ると全集が編まれてもよいほど多くの小説やエッセイが残されている。 『乳…

誰もいない文学館

街で青い護送車を見かけるたびに、賢太の「春は青いバスに乗って」というリリカルな短編を思い出す。 賢太が「小説現代」に連載した<誰もいない文学館>というエッセイは単行本化されていない。作家としてだけでなく古本コレクターであり読者としても超一流…

雨滴は

〈西村賢太追悼〉と銘打った『文學界』四月号を買う。 〈追悼〉とはいっても、〈特集〉ではなく、連載中の「雨滴は続く」(最終回)の手書き原稿の写真一枚と、連載分以外に、田中慎弥と朝吹真理子の追悼文が載っているだけの、何とも慊りない内容であった。…

岡田睦

西村賢太と坪内祐三の対談で知ったもう一人の作家が、岡田睦(おかだ・むつみ)だった。 1932年生まれで、慶応文学部を卒業し、家庭教師などをしつつ黒田壽郎、黒田美代子、古屋健三らと同人誌『作品・批評』を創刊、『三田文学』などに小説を書き、1960年「…

K

三木卓の私小説「K」(講談社文芸文庫)を読む。 三木卓といえば、いつのだか忘れたが、国語の教科書に文章が載っていたというかすかな記憶があり、詩人か児童文学者というイメージがあった。 この本の巻末についている年譜をみると、父親がアナーキズム系…

「ママはノースカロライナにいる」

東峰夫という作家の単行本『ママはノースカロライナにいる』(講談社、2003年)を読む。 西村賢太と坪内祐三の「ダメ人間作家コンテスト!」という対談で名前が挙がっていて、西村が彼の「ガードマン哀歌」という小説が素晴らしいと語っていたので興味を持っ…

『八木義徳・野口冨士男往復書簡集』

『八木義徳・野口冨士男往復書簡集』という本を読んだ。 図書館で借りたものだが、本当はこういう本は短期間で読み飛ばすのではなく、いつも手元に置いてじっくり読みたいものだ、などとだんだんいっぱしの文学愛好者じみたことを偉そうに書いてしまう自分に…

一私小説書き逝く

都電の線路を足ばやに横ぎり、ガード下をぬけたところでもう一度振りむいてみたが、それと気になる人物や車輛はやはりなかった。根が小心者にできてるだけ、最後に吐き残した暴言のことで連絡を受けたその店の者が追っかけてきはしまいかとヘンに気にかかっ…

岡田睦

野口富士男『作家の手』には最晩年(82歳で亡くなる直前)のエッセイが収録されているが、文章はしっかりしていて肉体は衰弱しても意識の混濁したようなところはまったく感じない。さすが私小説家、と思う。 岡田睦という私小説の極北といわれる(一体いくつ…

野口冨士男とか

坪内祐三が編集した十返肇という人の文芸評論を読んでいるが1914年(大正3年)生まれのこの世代の人は左翼が挫折したのを目撃して抽象的理想論や観念を信じなくなり、戦争はその認識を確認したに過ぎなかったと書いているのを読み、こういうことをはっきり書…

痩せた雄鶏

今日読んだ尾崎一雄の『痩せた雄鶏』という小説が京都大学の入試に使われたらしい。 五十になった作家に、妻と三人の子供がいて、自らは病弱で始終床に臥せっている。病気になり、どう考えてもあまり長い命ではない、という事実にぶち当たったとき、彼は初め…

もう私小説は打ち止めにしようと思っていたのだが、2021年に中公文庫から出た車谷長吉のアンソロジーを読んでしまった。 といっても『抜髪』と『漂流物』は以前読んだので、それ以外の収録作品『変』、『狂』、『武蔵丸』などを読んだ。面白かった。 巻末エ…

私小説のすすめ

図書館で小谷野敦『私小説のすすめ』を借りる。思ったより面白く参考になるので備忘録メモとして抜粋しておく。 私小説というのは、基本的に、自分とその周囲に起きたことを、そのまま、あるいは少し潤色して書いた小説のこと。必ずしも「私」が主人公である…

「少女を埋める」は私小説か?

文学のイロハからいえば、私小説の〈私〉も作家の〈私〉とは別人格である。小説の世界を日常の世界から切断し、作品の内部で、他のひとつの人格に化身して他人の生を生きる―その試みのなかでのみ、ひとは初めて小説家でありうる(三好行雄) 先に、朝日新聞…

葛西善蔵

硫黄島の本と一緒に葛西善蔵『贋物・父の葬式』 (講談社文芸文庫)も借りてきた。 硫黄島で斃れた兵士たちも哀れだが、葛西善蔵の生涯もまた哀れである。こっちは自業自得だという人もあろうが、自分は後者を愚か者と切って捨てるような見方はできないのであ…

Dead Line Over Heat

千葉雅也『デッドライン』(第162回芥川賞候補作)、『オーバーヒート』(第165回芥川賞候補作)を読んだ。 めちゃくちゃに面白かった。その面白さについては改めて書くとして、これらの小説が芥川賞を取れないという事実は、所詮あくたがーショー(笑)が自…

Short Circuit

小島信夫の事故物件のような小説に付き合うのがしんどくなってきたので、今週は佐伯一麦の『ショート・サーキット 佐伯一麦初期短編集』に手を付けている。 佐伯一麦は、「端午」と「ショート・サーキット」という作品で二度芥川賞の候補になっているが、受…

近松秋江

小島信夫の『私の作家評伝』で近松秋江が読みたくなり、青空文庫で読める『別れたる妻に送る手紙』、『うつり香』、『黒髪』、『狂乱』、『霜凍る宵』を読む。 秋江のこれらのシリーズ物は、俗に「ストーカー小説」とも呼ばれるが、何か江戸以前の古典文学を…

島崎藤村と小島信夫

小島信夫『私の作家評伝』は、漱石や鴎外はじめ日本の近代作家について論じたもので、とても読みやすく面白い。小島信夫本人がどこかで書いていたと思うが、「かゆい所に手が届くような」、玄人が読んでも唸るような(たぶん)内容になっている。 中でも興味…

What is Beauty for language ?

今読んでいる千石英世『小島信夫: 暗示の文学、鼓舞する寓話』という本の中で、小島信夫の息子がアル中になって記憶を失い、後妻となった愛子さんが健忘症になってしまった遠因は、小島信夫が私小説作家だったからではないか、と書いていて唸った。 青木健と…

こじのぶ

最近小説を読み過ぎているせいで、とうとう頭がオーバーヒートを起こしたようだ。酷い頭痛に襲われ、頭の芯がズキズキして眠れなかった。 これはたぶん小説の読みすぎ、それも主に小島信夫の小説が原因に違いないと直感した。 この数か月、ほとんど手当たり…

田中英光全集第5巻

今日は田中英光全集第5巻を読んだ。 町にて、切符売り場の民主制、N機関区、少女、途上、風はいつも吹いている、地下室から、流されるもの、嘘、小さな願い、共産党離党の弁。 「風はいつも吹いている」と「流されるもの」は以前に読んだことがあったので…

抱擁家族

今年に入ってから、ほぼひと月ごとに文学作品により衝撃を受け続けるという幸福な体験をしている。これは読書冥利に尽きるというものであろう。 これまでいかに小説、とりわけ日本の戦後文学というものを読んでこなかったかという自分の不勉強ぶりを痛感させ…

小島信夫は?

小説とは読んでいて面白いかどうかがすべてで、面白い小説には引き込まれる文体がある。そこには読者に対するある種のサービス精神といったものが必要だ。しかし例外的に、そのようなサービス精神が一切なく、自分勝手に書いたままの文章が面白いという場合…

みな生きもの みな死にもの

図書館で借りた藤枝静男の代表作といわれる『田紳有楽』も読もうとしたが、ちょっとついて行けず挫折。 変形私小説でも『空気頭』くらいのレベルならまだついて行けるのだが、『田紳有楽』はちょっと飛び過ぎている感じがする。 スピリチュアル的な要素がけ…

オリンポスの黄昏

田中光二『オリンポスの黄昏』を読む。 田中光二は田中英光の次男で、彼自身有名なSF作家である。 その田中光二が、生涯でただ一つの私小説と銘打って一九九一年、著者五〇歳のときに書いたのが、この小説である。単行本には、「あとがきにかえて 父・田中…

『田中英光傑作選』(西村賢太編、角川文庫)

ほとんど丸一日かけて『田中英光傑作選』(西村賢太編、角川文庫)を読む。 「オリンポスの果実」 「風はいつも吹いている」 「野狐」 「生命の果実」 「離魂」 「さようなら」 「野狐」、「生命の果実」、「さようなら」は読んだことがあったが、この並びで…

津島佑子『光の領分』

再び、保育園とライブラリーの間を往復する一週間がはじまった。その頃の私が、一番怖れていたものは、自分の寝坊だった。気がつくと、十時をとっくにまわっていたことが、何度となく、あった。上司からも、保育園からも、再三、忠告を受けていた。寝坊した…