「現代思想」という雑誌が,臨時増刊として出した「総特集マイケル・ジャクソン」を,買った。
現在巷にはマイケル追悼本が溢れていて,こういうものは1年後にはもう手に入らないだろうから,基本的に僕は全部買うことにしている。
マイケルの味方であると同時に,活字中毒の僕にとって,「現代思想」は愛憎半ば,といった感じの本だ。
案の定,“お前がマイケルについて語るな!!”と言いたくなるような連中が,マイケルを肴に好き勝手な言説を垂れ流している。
マイケルについて語るときに必ずいるのが,「俺は,“本格的な”ロックを聞く人間だから,マイケルを音楽的には評価することはできない。しかし・・・」云々という奴らだ。
今回の特集では,ピーター・バラカンがその典型だ。もちろん有象無象の音楽評論家たちは全部そうだ。
こういうスノッブ的な立ち位置に対して,以前の僕なら殺意を抱いていたに違いない。
しかし,もはや腹も立たない。
マイケルについての言説は,最も高名な思想家から,マイケルの死んだ後にユーチューブでマイケルの動画を見まくってファンになった10代の女の子まで,すべてが等価であり,イコールだと思っているからだ。
マイケルは,<ロック>好きの<本格派>などとはかけ離れた次元にいる。
そんな狭いカテゴリーで括られる存在ではないのだ。
「現代思想」をすべて読んだわけではないが,ピーター・バラカンと対談していた佐藤なんたらいう人が人類史的な観点から見たマイケルについて語っていた発言が部分的に面白かった以外は,全体的になんということはない。
こんな文章や対談で原稿料がもらえるなんて,いい商売だな。せいぜいマイケルに感謝せえよ,という感想くらいだ。
PS:出版社勤務の人の「僕は彼のためになら天国があるという方に全部賭ける」という文章は,秀逸だった。どっかのブログの記事みたいな文章だけど。
あと,陣野俊史という人の文章も,知らないことが書かれていて,興味深かった。全部読んでみれば,他にもいい文章があるかもしれない。
ただ一つ言えるのは,所謂音楽ヒョーロンカと呼ばれる人たちの文章がこぞってヒドイ,ということだ。