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プリンスとマイケル・ジャクソン

プリンスといっても,マイケルの子供のことではない。

80年代にマイケルと並んでブラック・ミュージックとロックの垣根を取っ払った革命児,プリンス・ロジャー・ネルソンのことである。

1982年から83年にかけてチャートを席巻したMJの「スリラー」の直後,プリンスは1984年,「パープル・レイン」で大ブレイクを果たした。

その出自と音楽史に果たした役割から,両者はどうしても比較の対象となる運命にある。

もっとも,マイケルは基本的にシンガー及びダンサーであり,傑出したパフォーマーとして後世に名を残す天才であるのに対して,プリンスは,あらゆる楽器をスタジオ・ミュージシャン並みに弾きこなす生粋のミュージシャンであり,音楽家として後世に名を残す天才である。

もちろんMJも作曲はするし,プリンスも超一流のパフォーマーなのは言うまでもないが,二人の才能と活動領域は完全に重なるわけではない。

当然ながら,ミュージシャン受けは圧倒的にプリンスの方がいい。音楽的アイディアの豊富さではプリンスの才能に比肩する者がいない。一方,MJに関しては,80年代以降「音楽的には語るに値しない」というのが暗黙の了解みたいなところがあった(今となってはかなり不当な評価にも思えるが)。

僕自身,初めて買ったレコードが「パープル・レイン」であり,それ以降も一貫してプリンスを聞き続けてきた。この頃のプリンスには神がかり的なところがあって,「パープル・レイン」の直後に出た「アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ」から「パレード」,「サイン・オブ・ザ・タイムス」「ラブセクシー」という一連の作品は,当時のすべてのミュージック・シーンを威圧する輝きを放っていた。

同時期のマイケルは,「スリラー」の後,満を持して発表した「BAD」の評価がいまひとつぱっとせず,大衆的な人気はともかく音楽面では完全にプリンスに引き離されていた。

「BAD」という曲はプリンスとのデュエットを念頭において書かれたという。

実際にMJがプリンスにコラボを申し入れたという有名なエピソードがある。会談は30分で終わり,プリンスは「僕がいなくてもこの曲は売れるよ」とクインシー・ジョーンズに言い捨てて去っていったらしい。確かに当時プリンスがあの曲に参加するメリットは何もなかっただろう。楽曲として成功したとはとても思えないし,実際MJがプリンスを「BAD」のどこにどう絡ませるつもりだったのかいまだに想像がつかない。

直接これと関係ないが,BADのアルバムには「ジャスト・グッド・フレンズ」というMJとスティービー・ワンダーのデュエットが収録されている。これも二人の競演にしてはいまひとつの出来だ。「スリラー」を超える作品を作らなければならないという猛烈なプレッシャーの下,MJは途方もない模索を続けていたのだろう。

プリンスはMJとクインシーが仕切った「ウィー・アー・ザ・ワールド」への参加も断っている。当時のプリンスの先鋭的なアーティスト・イメージから考えて,この判断も正解だったといわざるを得ない。まあ,単に背の低いプリンスが他のミュージシャンと並ぶのを嫌がったという話もあるが。

二人が大ブレイクの夜明けにあった頃,ジェームス・ブラウンを介して一瞬だけMJとプリンスが同じステージに立ったことがある。YOUTUBEなどでも見られる動画なので目にした人も多いだろう。ここでの二人のパフォーマンスが示唆的である。

まずMJがJBにステージに呼ばれ,ほんの少しだけ甘い歌と激しいダンスを披露する。続いてプリンスがJBに呼ばれる。プリンスはあまり気乗りしない様子だが,“ゴッドファーザー・オブ・ソウル”JB御大に呼びつけられては,出て行かないわけにも行かず,ボディーガードを引き連れて舞台に進んでいく。

プリンスはギターをプレイする。アンプの調子が悪くよく聞こえないのが残念だが,非常にファンキーである。その後,おもむろに上半身を露出させ,奇声を発し,マイクスタンドを使ってJBばりの動きを披露する。

この一瞬のパフォーマンスに,二人の特徴が見事に現れている。マイケルが甘い歌とキレキレのダンス,プリンスがエロチックで奇抜なパフォーマンスとファンキーなギタープレイ。二人の共通項はJBにある。マイケルとプリンスはJBの二つの要素を別々に進化させたといえるのかもしれない。

MJとプリンスの直接の共演はなかったものの,80年代後半に,ジャネット・ジャクソンジャム&ルイスという,MJの妹とPの弟分によるコラボレーションが実現した。これはご存知の通り大成功を収めており,ジャネットとジャム&ルイスによる「コントロール」,「リズム・ネイション1984」,「Janet.」は,いまだに色褪せない傑作群である。

マイケルはプリンスにかなりの対抗意識を燃やしていたと思う。自分が最高でないと我慢できない人間だから,音楽的にプリンスが自分より評価されているという事実が受け入れられなかったに違いない。最後のロンドン公演の数を50ステージに増やしたのは,同じ場所で21ステージやったプリンスの記録を塗り替えるためだった。

マイケルは,This Is Itツアーの舞台監督オルテガに「ステージ上にナイアガラの滝をつくろう」と提案し,オルテガが「もうこれ以上派手にする必要はないよ」と思いとどまらせようとすると,「夢で神が僕に告げるんだ。僕がやらないとプリンスに先を越されるかもしれない」と言ったという。

これは邪推かもしれないが,「King Of Pop」という名称は,「プリンス」に対して「キングは俺だ」ということをはっきりさせるためではなかったか。

一方,プリンスの方でもマイケルを意識していなかったはずはない。

しかしアーティストとしての自分を知り尽くしているプリンスは,自分がパフォーマーとしてのマイケル,芸能スターとしてのマイケルに勝てないことは十分に悟っていた。

だから,賢明にも,その分野でのガチの勝負は徹底して避けた。その代わり,「音楽では絶対に負けない」という自信はあったと思う。

プリンスが何度もマイケルのオファーを断ったのは,自分が引き立て役になることを拒絶するのと同時に,マイケルと絡むことが,芸能史的な意義はともかくとして,プリンスのミュージシャンとしてのキャリアにとって損にしかならないと分かっていたからだ。

90年代,どんどん人間離れして「ポップ・イコン」化していくマイケルとは対照的に,プリンスはどんどん人間的になっていく。特に「エマンシペイション」以降,その傾向は顕著だ。

あくまでも「絶対的に最高 Baddest」であることにこだわり続けたマイケルに対して,プリンスはセールスよりも精神性を重視した,余裕をもった活動を行っているように見えた。

その結果,皮肉なことに,セールス面でも音楽的評価でも,プリンスは再び頂点に達する。2000年の「レインボー・チルドレン」と続く初の2枚組ライブ・アルバム「ワン・ナイト・アローン」のクオリティーの高さは感動的ですらあった。

二人ともレコード会社とは鋭く対立したが,その方法はまったく異なっている。マイケルはソニー相手に正面から喧嘩を挑み,講演やデモを通して世間に訴えた。

プリンスはワーナーと決裂した後,インターネットを通じた独自の販売網を確立しようとした。その後も作品の販売方法に関して種々の実験的試みを続けている。ここでも成功を収めたのはプリンスの方だった。

マイケルの被った一連のスキャンダル攻撃や,あやうく冤罪で刑務所にまで行くところだった刑事裁判を頂点とする不当な疑惑は,有名税と言うにはあまりにも大きな代償であり,悲劇としかいいようがない。

プリンスは,もともと品行方正なイメージとは無縁で,むしろスキャンダラスな部分を売りにしていたことから,マイケルのような被害には逢わずに済んでいる。

パブリックイメージの操作という点では,プリンスはもう一人のスーパースター,マドンナに引けを取らない巧者である。

マイケルは,世界一の標的となるスーパースターでありながら,この点について無防備すぎた。周囲の人間にも問題があったのだろう。それにしても,捜査当局がマイケルに対して示した悪意は,単なる有名人に対する嫉妬だけでは説明がつかない。キング牧師の暗殺とも通じる,アメリカ社会の暗部を示す物語だと思う。

マイケルは生前「僕の命を狙っている人間がいる」と真剣に考えていたらしい。プリンスは,2000年頃の記者会見で,マイケルについて「彼は僕たちが知らないものを知っているんだよ」という趣旨の意味深な発言をしている。もしかしたらプリンスは,悪意ある勢力によってマイケルに覆い被さる不吉な影のことを示唆していたのだろうか。

二人はライバル同士でありながら,お互いの実力は認め合っていた。この話の真偽は不明だが,マイケルはコンサートのリハの際,バンドのスタッフに対して,「プリンスのところへ行って勉強して来い」と言ったことがあったらしい。プリンスは,マイケルが亡くなったとき,「これで音楽から本当のダンスが失われた(本当に踊れるアーティストがいなくなった)」と呟いたとか。

映画「This Is It」の中で,マイケルが女性ギタリスト,オリアンティに「ここは見せ場だから,もっと高い音を!」と指示しながら,ステージに並んで演奏する場面がある。一瞬,僕の中で,オリアンティが弾いている場所でド派手なギターソロをぶちかますプリンスの姿が脳裏に浮かんだ。ああ,この競演を一度でいいから目にしたかった。

トム・ペティなどからなるバンドがジョージ・ハリソンの「ワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」をプレイしている最中に,プリンスが突如現れて,嵐のようなギター・ソロをやって去っていくビデオがある。MJのコンサートでこんな場面が見れたら,僕はもう現世で思い残すことはない。だが,もはやそれもかなわぬ望みとなってしまった...

(追記)

上のビデオをよく見ると,プリンスは「突如現れた」のではなく,最初から隅っこの方でバンドと一緒にプレイしている(赤い帽子・・・)。

嘘かもしれないが面白いのでついでに書くと,プリンスはこのビートルズの名曲をこのとき初めて聞いたらしい(笑)