日本語版p188,ジャクソンズのアルバム『トライアンフ』に収録されている「ハートブレイク・ホテル」についてのくだり。
人を安全な場所に連れ戻してくれるものや,連れて来られた場所の音がなければ,脅えさせても意味がないのです。
原文は
there's no point in trying to scare someone if there isn't something to bring the person back safe and sound from where you've taken them.
ですから,おそらく訳者は safe and sound の sound を「音」と誤解したのでしょう。
脅えさせた後で,その人を再び安心させるようなものがないのなら,誰かを怖がらせようとする意味がありません。
とでも訳す方がいいと思われます。
ちなみに,これは同曲の最後のピアノとチェロのコーダ部分についてのコメントです。 個人的には,マイケルが「ハートブレイク・ホテル」や「ビリージーン」などの「復讐」をテーマにした歌を作ったのは,僕にはその感情が理解できないからだ,と言っているのが興味深かったです。
次に,これはあからさまな誤訳。p197の
『スリラー』というアルバムを作るのは非常に大変な仕事でしたが,はまり込んでしまった何かから逃げだすために努力しただけ,というのも本当です。
原文は
Making the Thriller album was very hard work, but it's true that you only get out of something what you put into it.
下線部はもちろん, 人は(作品に)注ぎ込んだだけのものしか得られない という意味です。なぜあんな訳になったしまったのか不思議です。
次は,かなり重要な誤訳です。「ビクトリー・ツアー」についてのくだりで,昔のツアーのスタッフに指摘された言葉からマイケルが大切な教訓を学んだと語っている部分ですが,
コントロールされているのだと彼に言われて,僕は目が覚めました。(p.271)
これはまったく逆で,原文は
When he told me I was in control, I finally woke up.
ですから(太字引用者),
コントロールしているのは僕なんだと彼に言われたとき,僕はついに目覚めました。
と訳すべきです。
これは何のことを言っているのかというと,マイケルは,「スリラー」の後,兄弟たちに半ば無理やり参加させられた「ビクトリー・ツアー」のときに,自分のキャリアを自分でコントロールすることの重要性を痛感したと述べているのです。
その重要性に気付かせてくれたのが,以前のスタッフに言われた「スタッフはあんたのために働いているんだ。あんたがスタッフのために働いているんじゃない。あんたがスタッフに金を払っているんだよ」という言葉だったといいます。
マイケルはこれを,何から何までモータウンの管理下にあった過去の自分の立場との対比という文脈で語っています。モータウンを出た後も,いわばモータウン時代のマインドコントロールが抜けきっていなくて,前述の男の言葉でようやく「脱洗脳」できた,と言っているわけです。 以後,マイケルが自覚的にポップ・ミュージック史の中で特異なキャリアを築いていくのは周知のとおりです。