INSTANT KARMA

We All Shine On

ライフ後

オザケンは、『ライフ』の後も次々に素晴らしいシングルを連発した。その主なものは後発のアルバム『刹那』にまとめて収録されているが、ここに収録されていないシングルの中にも素晴らしい曲がたくさんある。『指さえも』なんかは、これ一曲で『ライフ』の次作『球体の奏でる音楽』に並ぶくらいの名曲だと思っている。

そして『ある光』という超名曲を最後に、オザケンは消息を絶つ。

やきもきしながら彼の新作を待ち焦がれるファンを尻目に、小沢は2002年に突如、NYからアダルトな雰囲気マンマンの『Eclectic』というアルバムを放つ。弾けるような楽曲は影を潜め、ひたすら囁くようなボーカルに、“大人っぽい”アレンジ。期待感が大きかっただけに、正直、僕なんかは当時よく分らないという印象を受けた。ただ唯一『今夜はブギーバック』のセルフ・カバーだけは不思議と心地よくて、今でもよく聴いている。

そして、さらなる沈黙のあと、2006年に出たインスト作品のみの『毎日の環境学: Ecology Of Everyday Life』は、ますますよく分らなかった。この頃にはすでにオザケンは“エコロジー”や環境開発問題に傾倒していて、このアルバムは彼なりのメッセージ・アルバムだといえるのかもしれないが、こちらにそれを受容する感受性が欠けていたのだろう(未だに欠けたままだが)。

2007年に、オザケンは、エリザベス・コールという女性と一緒に、南米の民衆運動などを取材したフィールドワークの成果を発表するため、聴衆の前で“ビデオ上映&楽器演奏プラス解説”という独自の表現活動を始める。大々的な宣伝活動もなく、オザケン自身が聴衆にインターネット上にその内容を書くことを禁じる旨の発言をしたため、どんなものだったのか詳細は明らかでないが、いくつかのブログなどからなんとなく窺い知ることはできる。

同時期に、彼は父・小澤俊夫の責任編集による季刊誌「子どもと昔話」で小説『うさぎ!』を執筆しており、「その内容は現代の資本主義末期の欺瞞に満ちた社会を風刺するもの」(ウィキペディアより)となっている。これは僕も何編か読んでみた。別の論文(「企業的な社会、セラピー的な社会」)と併せて、まとまった感想が書けそうになったら書いてみたい。

2000年代のオザケンの“社会派”ぶりについては、自分としては肯定する気も否定する気もない。ただ一つ言えるのは、多くのファンが共有していたであろう思いを僕も抱き続けてきたということだ。それは、彼のフィールドワークの成果が、『ライフ』とその後の一連のシングルで表現されたあのオザケンの世界のヴァージョン・アップという形で、再び「音楽作品」として発表される日が来るのだろうか(否、ぜひ来てほしい!)という思いである。

というのも、彼が志向しているエコロジカルな言説の文章による表現については、もちろん異論はあると思うが、オザケンよりもはるかにすぐれた作品がすでにいくつも存在しているからだ。

オザケンには、オザケンにしかできないこと(音楽!特にポップ・ミュージック!それも飛びきりハッピーな!)をやってほしい。それが多くのファンの思いだったに違いない。