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悟り系

鳥居みゆきチャンの話題はこのブログでは久しく途絶えていたのだけど、面白い本を読んだので。

『悟り系で行こう―「私」が終わる時、「世界」が現れる』(那智タケシ)

クリシュナムルティの文脈で鳥居みゆきを分析した文章を初めて見た。

書いてある内容には、ほぼ100%共感する。というか、途中まで読んで、これは過去に自分が書いた文章ではないかと思ったほどだ。

鳥居みゆきの本質が「私」の不在、または「私」の否定だという見方をしたことも今までなかった。

『社交辞令でハイタッチ』などのメディアにおいてさえ執拗に私生活を明かそうとしない鳥居みゆきの態度は、単にプライベートを明かしたくないという浅薄な理由によるのではなく、「自我」というものの積極的な否定あるいは無化作用であるというのが著者の見立てだ。

これは気づきにくい視点だった。

確かに、そう考えれば、「小学生の時にクリシュナムルティを読んで友達ができなくなった」という鳥居みゆきの発言にも納得がいくような気がする。

鳥居みゆきは、自我というものが本格的に形成される思春期を前にして、自我というものの幻想性、死というものの本質を直感的に認識して(悟って)しまったのかもしれない。

とはいえ、芸人としてブレイクする前までは、鳥居みゆきの中に「私」というものがまだ残存しており、そのためにポテンシャルが発揮できていなかった。しかし、「マサコ」によって鳥居みゆきの中に残っていた最後の「自我」が完全に破壊され、それによって覚醒したのだ、と著者は主張する。

なるほどね。

そうだとすれば、鳥居みゆきがどこまで“確信犯”なのかに興味のあるところだ。

いや、核心をついた鳥居みゆき論に初めて出会ったかもしれない。