Quick Japan No.104のダウンタウン特集号を買う。
「ダウンタウンをやっつけろ」と謳っているくせに、ダウンタウンへの賛美一色の気持ちの悪い内容だった。
かろうじて吉田豪がジャブを繰り出していた程度。
ダウンタウンの普及した笑いには確かに功罪がある。それについてはマキタスポーツが近著『一億総ツッコミ時代』で述べているので、詳細は同書を読んでもらえばよい。
時の経過とともに、ダウンタウン的な笑いの影響の否定的な側面が顕在化してきているように思う。
自我の分析的な笑い(メタ的な笑い)を極めたのが松本だろう。
だから彼の笑いを超えるものが出てくるとすれば、それは無我表現(ベタの笑い)だろう。
そこには「超える」とかいう発想すら出てこないだろう。
なぜなら、「あいつは俺より上(下)」とか「俺の方が面白い(面白くない)」という発想自体が自我表現を前提とするものだから。
松本がこの特集のロングインタビューの中で正しく語っている通り、
「本当にそいつが面白くても、オレがうわ、こいつオモロいやんと認められるような奴じゃないんでしょうね。もう。これ何がオモロい? という奴なんでしょうね。」
「こいつオモロいやんとオレが思うようではオレを超えられてない。でもどっかで現れるんやろうなあ。オレが全然面白いと思わないけど、えらいウケてるやつが。」
「こいつ面白い」と思っているのが松本であり、松本が「俺より面白いやつはいない」と思い込んでいる限り、そうならざるを得ない。松本は自分の中に「笑いの神」が宿っていると思い込んでいる。その幻想を多くの人間と共有できていたというのがダウンタウンの凄さだ。
結局のところ「ダウンタウンをやっつけろ」という特集は、この幻想を共有できる人のためのものでしかなかった。ここらへんがサブカル雑誌の限界かもしれない。