War Is Over

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北川景子「瀬戸内まで」

とりあえずエピソード一つ。

北川景子 夏の京都でステテコ姿に

 女優の北川景子(26)が主演を務めるテレビ朝日系のドラマスペシャル「みをつくし料理帖」(22日放送)の制作発表会見が17日、同局で行われた。

 時代劇ドラマ初主演となる北川が、江戸時代を舞台に料理の道を進むヒロインを熱演。

「女料理人」が受け入れられない時代の逆境に負けず、ひたむきに成長していく姿を描く。

 真夏の京都での時代劇撮影とあって「暑くてもうろうとしてた」。

 休憩になると着物を脱ぎ、ステテコ一枚になって昼食を食べていたところ、マネジャーから止められたというエピソードを披露。

「今思えばなんであんなことしたんだろうって信じられない」と振り返った。

最後のコメントはたぶん嘘だと思います。

BSスペシャルによると、北川さんのご先祖は彦根武士らしい。

以下は、北川景子文藝春秋に寄せたエッセイ『瀬戸内まで』を素材にして、彼女の内面世界と文章の謎と魅力に迫りたいと思います。

このエッセイを読んでいなくても差し支えありませんが、興味のある人は図書館などで文藝春秋のバックナンバー(2012年5月号)を探してください。

 

* * *

 

北川景子のブログは、読者(ファン)に向けて、仕事やプライベートの報告の中でその時その時の自己の内面を吐露するという形式のため、その文体は主観的なものになることが多いが、このエッセイは、北川景子を知らない一般読者の存在を意識した客観的な文体で書かれている。その意味で貴重な文章である。

しかし、当然のことながら、ここでも彼女の文章の特徴は同じである。すなわち、(1)物事の意味についての徹底した追求、(2)自己の存在の意味付けに対する切迫感、(3)常に内面世界と関連付けられる外面世界の描写、(4)自己の存在の基盤としての家族への深い愛着、などだ。

彼女の文章を読む上でキーワードになるのは、「徹底性」と「切迫感」だという気がする。「徹底性」とは、物事を突き詰めて考える習性とでも言うべきもので、彼女の場合、この世界の中で自己の存在を正当化するための意味付けを追求するという形で現れることが多い。「切迫感」とは、今述べたことと相通じるものがあるが、答えを求める欲求に意識的/無意識的に絶えず衝き動かされているという様子を示す。

言うまでもなく、このような特徴には、彼女の幼い頃の震災体験(『北川景子という人』という記事参照)が影響しているだろう。しかし、震災以前から、「人の役に立ちたい=医者になりたい」という確固とした希望を持っていたことからすると、ある種の生真面目な使命感というものは、生まれつき彼女に備わっていた資質ともいえる。あるいは武士の血統を引く彼女の家系的な要素もあるのかもしれない。

このエッセイは、多忙な仕事の合間に、三度目の危篤に陥った曾祖母の元に駆けつける行程における心境を綴ったものであり、「切迫感」を表現するのにこれ以上ない題材であるといえる。彼女がこのようなテーマを選択したこと自体が、彼女の文体ひいては思想的な特徴を示唆している。

彼女の文体のキーワードとして、もうひとつ「濃密さ」も挙げねばなるまい。彼女の文章は、そのとき選ばれた主題となるある一つの思考を丹念に吟味し続ける。その中で客観世界(現実の時間と空間)と主観世界(彼女の思考世界における時間と空間)は混ぜ合わされ、渾然一体となる。

この随筆は、彼女が岡山駅のホームに午前九時一二分に降り立つという描写から始まり、九時三二分発のマリンライナー17号に乗って間もない時点で終わる(註1)。この間約二十分余り。しかしこの二十分の間に彼女の思考は、自分の幼い頃から、昨日母に「ひいおばあちゃんが危篤なの。もう三度目でしょう。帰って来られるの。」と告げられるまでの時間を走馬灯のように駆け巡っている。随想の大半は、彼女がマリンライナーのホームへと大急ぎでパンプスで文字通り駆け抜けている中での回想である。その短い時間の中でさえ、北川景子は切迫した焦燥感に囚われ続けている。

苛立ちを覚え、腕時計を見た。長針は一九分を少し過ぎたばかりだ。あと一三分。こういう場合の一三分は永遠に似て長い。せめて空が青ければ。ホームに風が吹き抜けトレンチがはためいた。トレンチの前をしっかり併せ見上げた空は春特有の曇天で、そのグレーは一層気分を滅入らせた。

この小品は、北川景子の回想の中に登場する「ひいおばあちゃん」について書かれたものには違いないが、現実世界では彼女以外に、「マリンライナーの通路を挟んだ隣に座っている幼い姉弟」が登場する。弟は、「大きすぎるニューヨークヤンキースのキャップをかぶって」、窓に張り付き流れる景色を見ている。やがて姉弟は二人で一つのお弁当を仲良く食べ始める。その最中に、おそらく曾祖母の重大な知らせを告げる彼女のポケットの携帯電話が鳴る。

幼い姉弟が象徴するのは、切迫感に追い立てられ、得体のしれない使命感と焦燥感に衝き動かされながら生きる自分(北川景子)とは対照的な、ありふれた幸せな日常を生きる市井の人々なのかもしれない。あるいは、使命感や焦燥感に目覚める前の、幼い頃の自分の姿かもしれない(幼い頃に姉と弟でマリンライナーに乗っていた姿に重ね合わせたという意味ももちろんあるだろう)。何らかの理由によって、彼女の生は、意識的か無意識的かはともかく、自らが選ばれた者であるという自覚と共に、絶え間ない「選ばれてあることの恍惚と不安」の中にある。

阪神大震災の時、「自分たちはなぜ生き延びたのか」と弟に尋ねられた北川景子は、自分でもその意味が良く分からぬままに、「なんか、仕事があるんやろう、私らには」と答えたという。ここでいう「仕事」を「宿命」と言い換えてもよければ、ここには人生に対する彼女独特の宿命観のようなものがある。

女性にとって、並外れた美貌を持って生まれ就くことはひとつの「宿命」であろう。医学部進学を目指す勉強ばかりの高校時代に、ある日突如スカウトされた(選ばれた)とき、彼女はその宿命を自覚した(させられた)のだ。

そして、「トモヱおばあちゃん」は彼女の「宿命」を最も早くに見抜いていた。

私の仕事を誰より応援したのもまた、曾祖母だ。近所中に私のことを自慢して回ったそうだ。女優になるのは『知っていた』と言い、ページが擦り切れるほど掲載された雑誌を読んでくれた曾祖母。

彼女にとってばかりでなく、トモヱおばあちゃんにとっても北川景子はまた特別な曾孫だった。

トモヱおばあちゃんは私をとても可愛がり、赤ん坊の私を『一番ようけ風呂に入れたんは私じゃ』と自慢するのが好きだった。手紙を送れば利口げで達筆なきんご褒美じゃと言い、お礼を入れた返事をくれ、父が失敗して私を猿の子どものように散髪をした時は、器量がええから似合うとると満足そうに笑った。とにかく、トモヱおばあちゃんは私に世界一甘かった。

先に、北川景子の文章は、この世界で彼女の存在を正当化する理由を求める衝動を内包していると述べたが、彼女にとって「トモヱおばあちゃん」は、まさにこの世界で彼女が「女優」として存在することの正当性を与えてくれた存在に他ならなかったのである。

そのひいおばあちゃんが、いよいよという時になって、マリンライナーの窓際に腰かけながら、どうしてももう一度会いたいという思いが駆け巡る。

どうしても会いたい。何故もっと帰らなかったのか。この何年かが悔やまれた。海はもう近い。「利口なんと器用なんと健康なんが苦労するように人生はできよんよ」たしかこんな事を、中学へ上がったばかりの頃に話してくれた。その事について今もっと詳しく聞きたい。戦争を二回経験し、夫と何人かの子どもに先立たれ、癌を乗り越え、それから若ばあちゃんに少し厳しくて、母と私にとびきり甘く、お洒落が大好きで綺麗なトモヱおばあちゃんに会いたくて喉が苦しくなった。

この何年かが悔やまれた。」という文の後に「海はもう近い。」というフレーズを挟むところに、彼女の非凡な文才があると同時に、外面世界と内面世界が混然一体となる彼女の文体上の特徴がもっとも表れている。

もうひとつ北川景子が非凡な点は、曾祖母についての回想という行為がなされる場を、曾祖母の元に到着してその姿を現実に目の当たりにした場でも、親族の集まる弔いの場でもなく、ひとりで(あるいは行きずりの幼い姉弟を横目に見ながら)曾祖母の元に駆けつける最中の場面に設定したことにある。

もちろんこの選択には、彼女の内面の切迫感や焦燥感を強調するという効果もあるが、この随筆にとってかかる設定が必然的であったことは、最後の段落で明らかになる。

鮮やかなイメージを喚起するこの描写があるために、この作品全体がなんとも輝かしい読後感をもたらすものとなっている。

この随筆の結末としては一見ふさわしくないようにも思われるこの最後の描写こそが、北川景子北川景子たる所以であるという気がしている。

結論:もっと北川景子の随筆が読みたい。

 

(註1)ちなみに、岡山駅に午前九時十二分に到着するためには、東京駅午前六時ちょうど発のJR新幹線のぞみ1号に乗る必要がある。以前、母親の病気の知らせを聞いた彼女が、真夜中に新幹線の駅に向かい、始発まで何時間も待ったというエピソードがどこかで紹介されていた。このときもそうだったのかもしれない。