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米長邦雄

将棋についての記事はまだ2本目だが、本当は書きたいことはいろいろある。

年の瀬に大きな訃報が届いた。

<訃報>米長邦雄さん69歳=将棋連盟会長、初の50代名人

日本将棋連盟会長で、史上最年長の50歳名人となった、永世棋聖米長邦雄(よねなが・くにお)さんが18日午前7時18分、東京都内の病院で前立腺がんのため死去した。69歳だった。通夜・葬儀の日程などは未定。

 山梨県富士川町(旧増穂町)生まれ。佐瀬勇次名誉九段に入門、1963年四段となってプロ入り。73年、第22期棋聖戦で初タイトルを獲得した。79年九段に昇段。84年王将、棋聖、十段、棋王の4冠を達成した。棋聖は計7期獲得し、永世棋聖を名乗る資格(通算5期)を得た。

 最高棋戦である名人戦では、挑戦すること計7度。最後の第51期七番勝負(93年)で、宿敵の中原誠名人(当時)を4連勝で破り、実力制名人になってから史上最高齢49歳11カ月で初の名人に就いた。翌年、50歳になってから羽生善治王位に2勝4敗で敗れたものの、挑戦者を決めるA級リーグ戦には、連続で26期在籍(名人在位を含む)した。

 03年12月、引退。以降、将棋普及を中心に幅広く活動。同年日本将棋連盟専務理事、05年からは会長を務めていた。99年から07年まで、東京都教育委員を務めた。12年1月には、最強の将棋ソフト「ボンクラーズ」と平手(ハンディなし)で対局。接戦となったが、中盤のミスで敗れた。

 09年1月に、前立腺がんで治療を受けていることを公表。ホームページ上で、「癌(がん)ノート」と題して、状況を報告していた。タイトル獲得は名人1、十段2など計19期(歴代5位)、優勝回数16回。通算成績は1103勝800敗1持将棋。03年、紫綬褒章受章。弟子に、先崎学八段、中川大輔八段ら。

現役時代は、中原誠名人と並んで、将棋界を代表する偉大な棋士だった。

小学生の頃、中原VS米長、大山VS米長などの観戦記を読み、棋譜を並べて悦に入っていたものだ。(今に至るも相変わらず実力はヘボのままだが。)

「棋界の太陽」と言われた中原名人は林葉直子とのスキャンダルで一気に名声が地に堕ちた感があるが、米長氏はもともと女好きで有名で、「呑む・打つ・買う」に加えてトークも抜群にうまく、メディアへの露出も多く文化人との交流も深かったから、数々のスキャンダルに見舞われてもまったく自分も周囲も意に介さなかった。

日本将棋連盟の会長になってからは、いろいろな批判も受けた。東京都の教育委員になって、天皇に対する「君が代起立」発言で物議をかもしたこともある。

つい最近まであちこちで元気な姿を見せていただけに、突然の訃報には驚いた。

僕は自分が「羽生世代」に属することもあって、羽生NHK杯佐藤康光、森内名人などの羽生世代にとてもシンパシーを感じるが、その上の中原、米長、加藤一二三といった世代の棋士も大好きだ。(さらにその上には大山・升田時代があるが、リアルタイムで経験していないので良く分からない。)

米長会長の残した課題は大きく、数も多いと思う。

これからの日本将棋界がどうなっていくのか、特に次の会長が誰になり、どういう方向に進んでいくのかに興味がある。

順番からすると、谷川浩司名人や田中寅彦氏あたりが連盟を担っていくのだろうか。

しばらく将棋界の動きから目を離せそうにない。