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コンピューターと将棋

2013年3月31日は、将棋界にとって、そしてコンピューターの歴史にとって、特別な日となった。

公開対局で、コンピューターが初めてプロ棋士を破ったのである。

これまで、女流棋士や引退棋士(米長前将棋連盟会長)が破れた例はあるが、現役のプロ棋士が破れたことはなかった。

もっとも、プロ棋士とコンピューターの非公開対局はすでに多く行われており、勝率は五分五分に近いとも言われているから、この日が来ることは既に予見されていたし、青天の霹靂のような衝撃を与えたわけではない。むしろ、ついに来るべき日が来たか、という確認の意味が大きい。

今回は5番勝負が企画されており、現時点で1勝1敗である。残りの3局の結果が大いに注目される。

ここで個人的な感想を。

ロボットが重量挙げの世界チャンピオンに買ったり、マシンが100メートル走でウサイン・ボルトに勝ったりしても、誰もまったく驚かないだろう(二足歩行ロボットなら別だが。しかしそんな時代は当分来そうにない)。

それなのに、コンピューターがチェスや将棋で人間のチャンピオンに勝つことが、なぜそんなに衝撃をもって迎えられるのか。

(註:現時点で、将棋のチャンピオンはまだコンピューターに破れていない。しかし、仮に現将棋名人がコンピューターに負けたとなれば、それは確実に衝撃をもって迎えられるに違いない)

単純計算だけでなく、どんな複雑な計算処理においても、人間よりもコンピューターの方が遥かに速いことは当然ではないか。

それなのに、なぜ計算の積み重ねであるボードゲーム(将棋)においてコンピューターが人間を遥かに上回らないことがあるだろうか。

この出来事が特別視される理由は主に二つある。一つは、(運動能力ではなく)思考能力を人間の特権とみなし、人間を複雑な思考機械とみなす唯物論的世界観に基づくものであり、もう一つは、将棋に勝つためには単純思考を超えたいわば直観的な能力が要求され、それはどんなに高速なコンピューターの思考能力をも凌駕するものであるという一種の神秘的な世界観に基づくものである。

これらの理由のために、人間がコンピューターに負けたという事実は、極端にいえば、万物の霊長たる人間の尊厳を侵されたような感覚を人間に与えるのである(その感覚の源は異なっているにせよ)。

しかし私見では、どちらの理由(世界観)も幻想にすぎない。

史上最高の棋士の一人である羽生善治が史上最強の棋士と認める故大山康晴名人は、「コンピューターに将棋なんかさせてはいけない。やがて人間を負かすに決まっている」と語っていたという。

大山名人はいかなる幻想も抱かない徹底したリアリストだったから、何十年も前に今日の事態を見抜いていた。

彼が危惧したのは、それによって将棋界の威信が傷つくことだった。

どんなに強い棋士が出現しても、「所詮コンピューターには適わない」となれば、棋士の威光は薄れてしまう。ひいては、プロ将棋界そのものが存亡の危機に瀕するであろう。

しかし既にパンドラの箱は空けられてしまった。

これからの将棋界は、大きな課題を背負うことになる。それは、棋士の存在意義そのものに関わる問題である。

もっと言えば、それは人間の存在意義という大問題につながる。

したがって、この問題は、真剣に考察するに値する。