INSTANT KARMA

We All Shine On

情報過多

※以下多少の妄想が混じっています。キモいのでコアな人以外は読まない方がいいと思います。

以前の記事にも書いたことがあるが、彼女はもともと内向的で繊細な感受性ゆえに環境に適応できず生きづらさを抱えるタイプの人間だ。

「みんながいいと思うもの、私はいいと思わない。

みんながしゃべってる言葉は私の言葉と違う気がする。」

彼女が好きな作家、木地雅映子の小説の登場人物のように、そこにある「空気」と「思考」のズレを常に抱えながら、芸能界は自分には向いていないんじゃないかなどと考えながら、必死で自分の居場所を見つけようとする。

そんなときに「演技することの楽しさ」に目覚めた。普段は地味で暗くて、向上心も協調性も存在感も個性も華もない自分が嫌いだったが、演技しているときだけは自分が好きになれた。

そんな演技の楽しさと同時に厳しさを教えてくれたのが、T先生だった。

T先生に教わったやり方で自己アピールすることで、オーディションにも受かるようになり、映画やドラマで目立つ役ももらえるようになってきた。

一方で、所属する事務所は、完全に体育会系のノリで、上下関係や言葉遣いに厳しく、ハキハキ、キビキビした態度が要求される。人づきあいが苦手で仕事も要領の悪い能年は、「使えない奴」と疎ましがられ、いつも叱責の的になった。

NHKの朝の連続ドラマ「あまちゃん」のオーディションという大きなチャンスを前に、能年は寮の片づけがきちんとできないという理由で、1か月の事務所の掃除当番を命じられた。少しでも不満な顔を見せると「態度が悪い」といって叱られた。

あまちゃん」のオーディションでは、事務所の推していた女優ではなく、能年が選ばれた。事務所にとって能年は、事務所押しの若手女優Kの単なる「当て馬」でしかなかった。NHKのプロデューサーは後に、事務所から送られてきた能年のPR写真が酷い表情だったので、本気でやる気があるのか分からなかったと語っている。それでも、能年が面接スタジオに入った瞬間、「ようやく主役が決まった」と彼は胸を撫で下ろしたという。

あまちゃん」の撮影はハードだった。岩手で秋の冷たい海に潜ったり肉体的にもきつかったが、初めて主役として撮影スタッフの中で振る舞う精神的ストレスの方が大きかった。

現場に同行したのは新人マネージャー1人だけ。精神的に追い詰められて、自分の殻に閉じこもってしまう時もあった。宮本信子はじめ周囲のベテラン俳優の配慮やサポートがなければ、途中で潰れていたかもしれない。

ロケのため新幹線の駅で重い荷物を持って移動中、階段を踏み外して右足を大きく裂傷してしまった。新幹線に乗ってから気づいたマネージャーが救急車を呼んで、7針を縫う怪我だった。

台本を読んで台詞を覚えるのに深夜までかかり、睡眠時間は常に3時間くらいしか取れなかった。事務所から支給される給料はまだわずかで、日用品を買うお金が足りない時もあり、実家からの仕送りに頼るしかなかった。

Tのところに深夜に電話をかけてきて、寮の乾燥機が壊れて明日履いていく下着がないと訴えたこともある。実家の親と相談したTは、能年の身の回りの世話を引き受けるようになる。

あまちゃん」の撮影も終盤に差し掛かった頃、撮影先の合宿所からTに電話が入る。演技のことでどうしても相談したいからすぐに来てほしいという。

Tは台本の読み合わせや、演技の心構えなどの助言はしてきたが、具体的な演出に口を出すことはなかった。現場の監督やスタッフの指示に従うべきことと、彼女を支えるという自分の役割ははっきりと分けてきた。

今回は部外者である自分が撮影現場に入ることに抵抗はあったが、やむにやまれず能年の所に駆けつけた。これが事務所の逆鱗に触れた。部外者が無断で立ち入り現場を混乱させたとの理由で、能年は厳しい叱責を受け、Tは以後一切出入り禁止となった。

能年のストレスは高まり、撮影を拒否して部屋に籠ったり、マネージャーへの態度が反抗的になるなど、事務所から見て問題行動が目立つようになる。

あまちゃん」は作品として大成功し、能年玲奈は彗星のごとく現れた期待の新人女優として大ブレイクするが、事務所にとって能年は決して扱い易いタレントではなかった。何よりTへの心酔が目に余った。

あまちゃん」打ち上げ後、能年は事務所に呼び出され、チーフマネージャーに「態度が悪いから新しい仕事は入れられない」と告げられる。「事務所への態度を改めろ」とも。それはすなわち、Tとの関係を切ることを意味していた。能年が態度を改めることはなかった。

新しい演技の仕事(映画、ドラマ)は入れられなかったが、「あまちゃん」前に決まっていた「ホットロード」の撮影は行われた。そのプロモーションのために、苦手なバラエティ番組に大量に出演させられることになった。もともとバラエティ的な会話が不得意である上に、事務所から発言の中身を厳しくチェックされるので、収録では一層無口になった。世間はそんな能年に「天然キャラ」「障害でもあるのか」と珍しいものを見るような好奇の眼差しを向けた。

メディアでTの名前を出すことは禁じられていたが、ある番組でTのことを「52歳の友達」と呼んでそれがオンエアされると、ファンの間でもTの存在が大きく認知されるようになった。

ブレイク後は、一人で外を歩くことが難しくなった。私生活においても、自然とTやその関係者とのかかわりが濃密になっていった。

ホットロード」の撮影が終わった後、能年は事務所に対して正式に辞意を伝えた。

事務所にとって、長年養成してようやくブレイクし、これから稼ぎ頭となるタレントが辞めることは、造反行為であり、認められるわけがなかった。

社長との二人きりの面談が何度も行われた。

「仕事をさせてもらえない」というのが辞意の理由だった。

「干されているというのはおまえの妄想にすぎない」と主張する社長と、ライバルたちが次々とドラマに映画に出演しているのを見ながら焦りを募らせる能年の思いは、まったく交わる気配がなかった。

3時間にも及ぶ押し問答の後、会議室を立ち去る能年の背中に、「負け犬! お前はそんなんだからダメなんだ」と叫ぶ社長の声が聞こえた。

一方その頃、「あまちゃん」で母親役として共演し、ドラマ終了後もプライベートで交流のある数少ない先輩芸能人、小泉今日子は、雑誌のインタビューに答えて、次のような発言をしていた。

「私みたいに事務所に入っている人間が言うのもなんだけど、日本の芸能界ってキャスティングとかが“政治的”だから広がらないものがありますよね。でも、この芸能界の悪しき因習もそろそろ崩壊するだろうという予感がします」

小泉今日子は言わずと知れた、80年代から活躍を続ける大人気(元)アイドルであり、彼女の所属するバーニングプロダクションは日本の芸能界を牛耳っているとも言われる大手である。能年の事務所もバーニング系列にあたる。その小泉は、2015年2月4日に都内に個人事務所を設立した。

あまちゃん」撮影中に誕生日を迎えた時、能年はティファニーの3つの鍵がついたネックレスを小泉からプレゼントされた。そのとき小泉は彼女に「大人になるまでに、必要な鍵だよ。3つまでだったら助けてあげる。まあ、3つじゃなくてもいいけどね」と話したという。

メディアに「独立騒動」が書き立てられる中、更新された能年のブログには、そのネックレスと思しきものを身に着けた写真がアップされている。その鍵の数は2つに減っているような気がするのだが、はっきりとは分からない。