マイルス・デイヴィスの代表作であるばかりでなく、モダン・ジャズの金字塔として、1959年の発売以来、半世紀以上にわたり君臨し続けているアルバム。この作品についての、マイルス・デイヴィス「カインド・オブ・ブルー」創作術(アシュリー・カーン (著), 川嶋文丸 (翻訳))という本を読んだ。
このアルバムは、1959年3月2日と、4月22日の2日間のセッションで完成した。
収録曲は1曲を除いてすべてファースト・テイクで、6人で完奏した演奏がそのまま収録されている。
メンバーは以下のとおり。
マイルス・デイヴィス - トランペット
ジョン・コルトレーン - テナー・サックス
キャノンボール・アダレイ - アルト・サックス
ビル・エヴァンス - ピアノ
ウィントン・ケリー - ピアノ(2曲目「フレディ・フリーローダー」のみ)
ポール・チェンバース - ベース
ジミー・コブ - ドラム
ビル・エヴァンスは、この作品がマイルスとの唯一のスタジオ録音であるが、含蓄のあるライナー・ノーツを自ら書いている。
その中で彼は、ジャズの即興演奏を日本の芸術である水墨画に例えて、次のように説明する。
芸術家は薄く伸ばした和紙に特別な筆と黒い水彩絵の具を使い描かなければならない。
その際、動作が不自然になったり中断されたりすると、線や和紙が台無しになってしまう。
途中で線を消したり変えたりすることは許されない。
芸術家は、思考を介入させない直接的な流れに従い、アイデアが手と連動しつつ自ら表現されるようになるまで、特別な鍛錬を積まなければならない。
その結果生まれる絵は、通常の絵画と比べて複雑な構成や質感を欠くが、無心に見れば、説明の要らない何かを捉えていることが分かるという。」
ジャズは一回性の芸術であるという点で、西洋のクラシック音楽とは別の範疇にある。
どんなジャズのアルバムもそうであるように、『カインド・オブ・ブルー』に収められたどの曲も、二度と同じようには再現できない。もちろん、そこで行われた演奏を採譜して、まったく同じように演奏することは可能だろうが、そこにはもうフィーリング(生命感)は失われている。
この再現不可能性と、レコード(記録)の再生という形での無数の再生可能性が、ジャズという音楽ジャンルを唯一無二のものにしている。
『カインド・オブ・ブルー』には、無駄な音が一つも含まれておらず、かつすべての音の響きが関連し合うことで無限の豊かさを備えている、まったく奇跡に等しい作品である。
後年マイルス自身は、この作品では彼の意図する音楽を作り上げることに失敗したと述べている。しかしその発言は、このアルバムで表現された一回性の美の真実を些かも揺るがせるものではない。
マイルス・デイヴィスは、『カインド・オブ・ブルー』という作品を生み出したというだけでも、音楽史に永遠にその名を刻むに十分な功績を果たしたといえるだろう。
しかし、彼は決してその達成には留まらなかった。
すべての偉大な芸術家がそうであるように、彼も自らの作り上げた形式を即座に否定し、破壊することで次のステージに進んでいった。
このアルバムを最後にマイルスの元を離れたコルトレーンは、独自に求道的な方向性に猛進し、同時代のシーンに広く深い影響を与えた。その姿は悲劇的でさえあった。
フリー・ジャズに傾倒していく晩年のコルトレーンの活動を脇目に見ながら、マイルスは、ウェイン・ショーターやハービー・ハンコックなどの若い天才たちと、アコースティック・ジャズの窮極点に達していた。
それについては別に書くことになる。