INSTANT KARMA

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フランクル

戦後70年だからというわけでもないのだが、お盆に帰郷している間に立て続けに戦争に関する資料に接した。高校生の頃に読んで本棚に置いたままになっていたもの。

『夜と霧』(フランクル

『野火』(大岡昇平

ゆきゆきて神軍』(原一男、DVD)

ついでにカミュ『異邦人』『シーシュポスの神話』を読み返す。

フランクルの名著については今更何を言うまでもないが、20世紀はこの本が書かれた(書かれることを余儀なくされた)世紀として人類史に記録されるだろう。

あらゆる人間性を完璧に否定する圧倒的な力(絶対悪)に直面し続けることを強制されながら、人間はどう生きることができるのか。

『野火』と『ゆきゆきて神軍』もまた、生命の極限状態における人間の精神と欲望をテーマにしているともいえる。

南方(フィリピン、ニューギニアその他)戦線で起こったこと、それが戦争という現実のありのままの一面を表現している。

戦後に書かれたカミュの『異邦人』と『シーシュポスの神話』は、人類が第二次世界大戦を体験したという事実を抜きにして読むことはできない。

カミュの描いた「不条理の哲学」の結論は、フランクルの心理学における結論と調和している。

つまりそれは、世界の不条理という絶対的に自明な事実に直面した時に人間がとりうる態度についてのことだ。

ここで必要なのは生命の意味についての問いの観点の変更なのである。すなわち人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。そのことをわれわれは学ばねばならず、また絶望している人間に教えなければならないのである。哲学的に言えば、ここではコペルニクス的転回が問題なのであると云えよう。すなわちわれわれが人生の意味を問うのではなくて、われわれ自身が問われた者として体験されるのである。

いかなる外的環境の支配にも隷属しない一人の人間が価値創造者となること。

21世紀の人間は、その権利を歴史によって与えられている。その権利を行使するかどうかは、各人の手に委ねられている。

あの70年前の大戦の生んだあらゆる悲劇を無駄なものにしないためには、人類はその道を歩むしかない。