INSTANT KARMA

We All Shine On

33年後のファシズム

小説タイトルの前後半を組み合わせて一番面白いタイトルを作るゲームが流行っているらしい。

「80日間鐘は鳴る」(うるさい)

「マリア様が部活やめるってよ」(何の部活?)

「吾輩は電気羊の夢を見るか」(知るかそんなもん)

「限りなく透明に近いばか」(なるほど)

「アルジャーノンに異常なし」西部戦線に花束を) とか。

以下は読書感想文。

 

『33年後のなんとなく、クリスタル』田中康夫)を読んで、本気でヤッシーに総理になってほしくなった。 だって、2000年からの6年間の長野県知事時代に、これだけの実績を上げてるんだよ。

・ 中央のゼネコンに総事業費の8割が還流していくダム建設に象徴さ れる巨大公共事業から、地域密着型の公共事業へと転換。地域住民と共に、ダムに頼らない治水・治山を実現。 ・ 全国唯一、6年連続で財政黒字化を達成財政再建団体転落寸前だった県財政の再建に、知事就任と同時に着 手。県債残高(借金)を全国唯一、6年連続で計923億円減少させ、プライマリーバランスの連続黒字化を達成。 ・ 小学校全学年で「30人規模学級」を実現すべての小学校で6年生までの少人数学級を実施。教員採用試験の 受験年齢制限を全廃し、豊かな経験を有する社会人校長や教諭を積極採用。現場の意識改革を促進。 ・ お年寄りと乳幼児のための「宅幼老所」を設置集落や商店街の空き家を利用し、高齢者のデイサービスと3歳未満 の乳幼児保育を一緒に行う「宅幼老所」を300ヶ所に設置。施設建設ありきのハコモノ福祉行政を大転換。 ・ 徹底した入札改革で、「談合県政」を刷新あらゆる分野の事業で一般競争入札を導入。「談合摘発」に実績を 有する弁護士を会計局長に任用し、検査部門を強化。不透明な税金の流れを断ち、予算を福祉・医療・教育分野に。 ・ 「ドクターヘリ」導入で緊急医療体制を充実全国に先駆け、実質2機体制を確立。医師と看護師が乗り込み、通 報から治療開始までの時間を大幅に短縮。スキー場や避暑地等での観光客の救命救急にも効果を発揮。 ・ 「木製ガードレール」開発で地域雇用を創出鋼製ガードレールの設置費用は全額自治体負担にも拘らず、大都市 圏の企業が製造。地域で出来る事は地域で、を合い言葉に開発した木製ガードレールは景観育成にも寄与。 ・「車座集会」で地域住民との直接対話事前予約不要で誰もが参加・発言可能な、毎回2時間半以上に及ぶ 直接対話。延べ1万5千人の参加者。養護学校への看護師常駐を始め、提言を切っ掛けに数多くの施策が実現。 ★建設産業構造改革支援プログラム ★信州きこり養成講座 ★「安心・安全・正直な温泉表示」認定制度 ★原産地呼称管理制度 ★BSE全頭検査 ★化学農薬・化学肥料の使用を半減・全廃するレス50・レス100生産者支援 ★ヤミ金110番 ★チャイルドライン ★児童虐待・DV24時間ホットライン ★県有施設の敷地内全面禁煙 ★上高地への観光バスをハイブリッド車に限定 ★マンション軽井沢メソッド宣言 ★迷子の犬猫HP情報 ★無医地区通院支援車 ★外郭団体統廃合の徹底 ★人件費こそ最大の事業費・ゼロ予算事業で職員意識改革 ★専門職員が直接説明に出掛ける出前講座 ★部課長が庁舎入口で案内役を務めるお尋ねコンシェルジュ

この小説は、浅田彰菊地成孔が指摘する通り、プルースト的な時間感覚を持ち、表面的にはほとんど何も起こらない中で、詳細な外面的描写と内面的意識の流れの描写の組み合わせによって、特異で濃密な読書体験をもたらす。

本文を補完する註は、『なんとなく、クリスタル』(もとクリ)の註以上に雄弁に実践家・批評家としての田中康夫の主張を述べている。その意味でこの作品は単なる小説(フィクション)ではなく鋭い社会批評ともなっている。

かつて田中は、もう小説を書かないのかという問いに対して、次のように答えている

「一作目(なんクリ)で言った世の中って言うのが180℃は回転してはいないんですよね。だから、そういう意味で、エポック的なものはなかなかまだ作れないと思うんだね。今度は男、ある意味僕に近い人を主人公にして、時代を疾走している。と言う感じを考えています。」

まさにこの『33年後のなんとなく、クリスタル』という小説はそれにあたるといえるかもしれない。 彼は同じインタビューでこうも語っている。

――自分の小説に対しては一流だという意識はありますか?

田中 少なくとも一作目は、時代的に残るでしょうね。みんな、これはブランドの小説だって言ってますけど、これは結局、初めて日本はアメリカの占領国だって言ったものだと思うんです村上龍までの小説っていうのは「ヤンキーゴーホーム」的な小説だったと思うんだよね。僕のって言うのは、「コカコーラが今一番新しい」ってそこに何の理由もつけないっていう人たちを描いたのであって、これは日本はアメリカの被占領国でしかないことをいったんだと思うんだよ。でも、そういうことって誰もが思っていたんですよ。アメリカのおかげで本も読めるしいい家にも住めるし、飯もうまいし…でも、それを言ってしまうということは、自分が裸の王様であるってことを自ら告白してしまうことにつながるわけなんですね。それは決して口に出してはいけないことだったんです。「ヘンタイよい子」の人たちというのは、「ちゃんと、本音を言ってます」てなことをいっているけど、ちゃんとビックリハウスのインタビューでは「僕は、いつも本を小脇に抱えてうつむいて歩いているような女の子が好きです」って必ず言っているでしょう?決して本音じゃなくて、ちゃんと建前になってるわけだね。つまり、そういうことをしていかなければ、自分は裸の王様だ、飯の食い上げだってことだったんですね。それを田中康夫は「コカコーラは美味しい…それで終わり?」というか、「ウェルカムヤンキー」被占領国だって言っちゃった。これが感情的に許せない行為なんでしょうね。もっと時代が経てば、一作目の作品は評価されるんじゃないですか?今の文芸評論家に理解してもらうっていうのは難しいことでしょうね。 田中康夫が言いたかったことっていうのは、ブランドの羅列じゃないわけですよ。僕が言いたかったのは、「すべての価値が等価値になってしまった」ということで、戦後理想とされた世論が全部崩れた時代に、頼るものは現実に目の前にある、物質…もう一瞬経てば確かなものではないかもしれないけど…その瞬間、その目の前にある物質しか頼るものがないってことを言いたかったんです。この間も、講演で言ったんだけど、「ライフ」というものが全て満たされてしまっている時代なんです。ものに帰結しているって言うのは…。洋服も本来は、裸じゃ寒いから着ていたんだけど、第一義の目的を果たすためのものってみんな持っているですよ。食べるものにしてもね。そうして、第一義の目的が果たされると、人間は次の目標に拘るようになる。デザイン、肌触り、色…そういう、第一義以外の目的に重きを置くようになると、これは、みんな人生の全ての行為の一つ一つはスタイリング化現象になるんです。ものに拘っていくということは、そういうことなんです。都会のような、一定面積より人口が多いところに住んでいると、自己証明できなくなるんです。そうなってくると、ほかの助けを借りるようになる。それが、みんなブランドなんですよ。ライフが満たされると、みんなスタイルを求めていくんです。