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訳詞の難しさ

※今回の記事はビートルマニア向けです。

ビートルズ英語読解ガイド

AMAZONで「ビートルズの歌詞の対訳本としては最高!」「ビートルズ好きで英語を勉強したい方には絶対に面白い本」などと評価され、他にも絶賛されているブログなどがあったため、図書館で借りて読もうとしている。

まだ途中までしか読んでいないし、自分が読んでいるのは「増補版」が出る前の初版本なので、内容は訂正されているのかもしれないが、現時点で気になったところを挙げる。

まず「There's A Place」の中の「There's no time when I'm alone」という箇所について。

著者は従前の訳者による「ひとりでいると時のたつのも忘れるよ」という対訳は誤訳であると断言したうえで、この when は接続詞ではなくて time を先行詞とする関係副詞と考える方が自然であるから、「僕が孤独な時なんかない(僕の頭の中にはいつも君がいるから)」というのが正しい意味であると述べている。

これは著者の間違いで、従来の訳が正しいと思う。少なくとも、とちらが正しいとか断言することはできない。

この曲は、ジョン・レノンビートルズのデビューアルバムで早くも「内向性(引きこもり傾向)」を歌詞に反映させた重要な曲で、

「落ち込んだときや、ブルーになったときには、自分の心の中に入り込むんだ。そうすれば外界の嫌なことは忘れて、君との思い出に浸ったりなんかできるし」

というのが歌詞の大意である。 ビーチ・ボーイズブライアン・ウィルソンが初期に書いた「In My Room」と並ぶ名曲である。

著者は「恋人と離れて独りでいる時の気持を、気丈に歌ったナンバーです」と書いているが、この解釈がありえないとは言わないまでも、ジョン・レノンという人間について考えた場合には、上記のような解釈の方が適切ではないかと思う。

後の「Nowhere Man」「Strawberry Fields Forever」につながる、「引きこもりジョン」の流れの最初にあたる曲なのだ。

だから、「There's no time when I'm alone」というくだりは、「僕がひとりでいるとき、時間なんかなくなるんだ(気にならなくなるんだ)」と訳すべきで、これまでそう訳されてきたのは決して間違いではない。

 

本書の冒頭部分に、こんなのが出てくるもんだから、「あれっ? これってそんなにいい本なの?」という疑問が生じてしまったのである。

 

次に、「I'll Get You」という曲の、「It's not like me to pretend But I'll get you, I'll get you in the end」という部分。 これを著者は、「私の耳には like me ではなくて、likely と聞こえます」と強弁(?)し、「自動詞 pretend には『要求する』という意味に加えて、古くは『求婚する』という意味もあったようです。ですから、It's not like me to pretend, but I'll get you in the endは、『求愛するなんて、どうかと思う。でも僕は最終的には君をものにするよ』というようなことではないでしょうか?」との見解を述べている。

これも、従来の解釈の方が正しいと思う。

pretend をわざわざ古語のような意味で使う理由がどこにもないし、It's not like me to pretend は「ふりをするのは(わざとらしくふるまうのは)僕らしくない」で十分じゃないかと思う。

事ほど左様に、この本は「従来の出来の悪い訳詞にメスを入れる」と言いながら、結構独善的で牽強付会な意訳が目立つ。 だから他の解釈にもあまり説得力を感じない。

 

著者紹介で「TOEIC 970点」とかいろいろな経歴を並べ、現在は翻訳業に携わっていると記載しているが、少なくともこの本に限っては、決して褒められた内容ではないと思う。

歌詞の解釈は多義的で、これが絶対だと決めつけるようなことができるようなものではない。 「『ノルウェーの森』は誤訳だった」という近時の有名な通説でさえ、実は「ノルウェーの森」でも正しいのかもしれない、という可能性だってある。

ビートルズに限らず、優れた歌詞は、多義的で豊かなイメージを喚起する力があるので、学術論文のように唯一の正しい解釈が存在する必要もないのである(法律の条文ですら何通りも解釈の違いがあることは稀ではない)。

だから、あんまり「他の訳者は間違っている」とか言わない方がいいと思うよ、と思った。 英語の勉強としても使い勝手はよくないという印象。 なんだか「重箱の隅をつつく人の隅をつつく」ような文章になってしまった。