INSTANT KARMA

We All Shine On

フォーエバー イン・マイ・ライフの間奏のピアノ

このところ立て続けにビートルズについて書いていたら、

なんと、ジョージ・マーチンGeorge Martin氏(90歳)死去のニュース。

『「5人目のビートルズ」は世界に何万人もいる』というジョークがあるが、その呼び名が真にふさわしいのは、ブライアン・エプスタインでも。ピート・ベストでも、スチュワート・サトクリフでもなく、このジョージ・マーチンだろう。

誰もが口を揃えるように、彼の存在がなければ、ビートルズの作品はあのような形にはならなかったし、その音楽のマジックも半減していたのではないか? と思う。

これは、ジョージ・マーチンだけではなく、ジェフ・エメリックをはじめ当時のEMIの録音スタッフが奇跡的に優秀であったという歴史の偶然(?)も作用している。

ビートルズの7年にも満たないレコーディング・キャリア全体を通して、ジョージ・マーチンの影響力は圧倒的なものがあるが、彼の人生の中で、そしてビートルズの歴史の中で最高の一日(ベスト・アンド・ブライテスト・デイ・イン・ザ・ライフ)を選ぶとしたら、それは、本日からちょうど53年と1か月前、デビュー・アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』を録音した1963年2月11日ということになるだろう。

(以下ウィキペディアより転載)

午前10時にビートルズとプロデューサーのジョージ・マーティンはスタジオに入り、約3時間のセッションを3回繰り返し、10時間弱でシングルで既に発表されていた4曲を除く10曲を仕上げ、事実上わずか1日でアルバムを完成させた。時間と予算が限られていたことから、ほとんどの曲は原則一発録り(当時は2トラック録音のため、演奏と歌は同時録音で、それぞれが1つずつのトラックに録音された)で制作された。

 

レコーディング当日、ジョン・レノンは風邪をひいており、その影響でヴォーカルがやや鼻声になっている。ジョージ・マーティンはジョンの喉への負担を考慮し、ツイスト・アンド・シャウトの録音はセッションの最後に行い、ジョンはこの曲をワンテイクで仕上げた。後にジョンは「ビートルズの(当時の)ライヴ感の生々しさを出しているという点ではこのアルバムが一番近い」と解散後に発言している。

今はアルバムだけでなくブートレッグなどでこの日の録音の様子を聴くことができるが、この日のことだけで、優に一冊の本が書けるだろう。

まだ自分が何者なのか、何者になるのか、本人達もジョージ・マーチンもよく分かっていなかったこの時の期待と不安の入り混じったワクワク感がたまらない。すべてが始まる前の永遠の一瞬。

ジョージ・マーチンも亡くなって、ビートルズもいよいよ歴史上の人物化が進行しつつある。

ポップ・ミュージックの聖者に音楽の神の祝福を。偉大な業績に感謝。