以前の記事で少し書いた、『ビートルズってなんだ? 53人の"マイ・ビートルズ"』(講談社文庫)という本を、実家に行ったついでに持ってきた。現在は入手困難な本なので、中身を改めて紹介したい。
村上龍がまえがきで書いているとおり、ビートルズは最初ポップミュージシャンで、聴いていたのは10代の女の子が中心で、知識人は無視していた。
それが変わっていき、現代音楽家がサウンドを褒め、現代詩人が歌詞を褒め、詩や評論の雑誌が特集を組むようになった。
この本に登場し、ビートルズについて論じるのは、寺山修司、北杜夫、大佛次郎、遠藤周作、いいだもも、竹中労、草野心平、谷川俊太郎等々といった、日本の権威ある知識人といった人々である。
彼らの多くはビートルズより上の世代に属するので、同時代を共に過ごしたファンのような熱気はなく、醒めた目でビートルズという現象を眺めている。
昔はこの手の文章は腹が立って読めなかったものだが、今はこっちだってそういう権威者たちのピント外れな御意見を醒めた目で読むことができる。そう言う目で読んでも、卓見と思われるものも確かにある。しかし、哀しいかな、やはり彼らの言葉には対象との距離があり、ビートルズが身体精神の一部に同化されてしまっている同時代のファンたちの書く文章から伝わってくるようなリアリティに欠けている。
僕にとっては、ビートルズとは何よりもこのリアリティのことだ。
それでも、この本の中で忘れられない文章がある。
一つは、以前の記事で紹介した飯村隆彦の「僕にLOVEを歌ったジョンが死んだ」というエッセイ。
もう一つは、木村東介という古美術商の書いた文章である。
これについては改めて書く。