INSTANT KARMA

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光りの墓

以前、「世紀の光」という映画を見た、アピチャッポン・ウィーラセタクン監督の最新作「光りの墓」(Cemetery of Splendour)を見た。

 

文字通り「夢のような映画」だったので、記憶が消えないうちに備忘録的なメモを記す。

 

(万一これから見るという方がいれば、ネタバレ全開であることを断っておきます。もっとも、ネタバレを気にしなければならない類の作品ではまったくないのですが。)

 

 

映画が始まる前に、Apichatpong監督が登場するビデオ・メッセージがあり、その中で、この映画が彼の故郷を舞台にしていること、彼の故郷には45年前には何もなく、ただ病院(彼の親は医者だったので)、学校、映画館の記憶だけがあること、この映画にはタイの軍事政権に対する思いが込められていること、主人公の女性は彼の映画の片腕的存在であり、この映画にも出ずっぱりだが、大変すばらしい演技を見せていると思う、などと所見が述べられる。このビデオ・メッセージは緑豊かな彼のスタジオから届けられていた。

 

映画が始まると、ひたすら田舎の病院(元は学校だった建物をそのまま転用したもの)で、眠り病という正体不明な病に侵され昏々と眠り続ける兵士たちの様子が映される。冒頭のシーンはタイの軍隊が病院の敷地のすぐ近くの土地をブルドーザーで掘り返している映像である。

 

ストーリーと呼べるような起伏もなく、主人公の女性(ジェン)(もう老年といってよい。右足が左足より短く、杖なしで歩くことができない)が「眠り病」の若い兵士(イット)を介護する様子が淡々と描かれる。間に唐突に男性の野糞のシーンが挟まれたり(でもこれが甘美なまでに美しいのがまた奇跡)、意味不明な湖の水車の映像が挟まれたりする。

 

アフガニスタンアメリカ兵も使っていた」という、蛍光色のライトを放つ「悪夢を見なくなる装置」が幻想的で効果的に用いられている。

 

死者の魂と交信できるという若い女性(ケン)が、薬をもらうために病院で働いている。ケンは、他にも化粧品の販売員のバイトをしたり、霊媒でありながら、けっこう現実的な側面もある。ジェンはケンと知り合い、打ち解けた仲になる。

 

ケンを通じて、青年兵士イットとの魂の交流(夢の中で?)が行われるシーンが映画のクライマックスと一応はいえる。しかし驚くべきことに、このクライマックスは、客観的に見れば、ただ二人の女性が緑の中を歩きながら淡々と会話しているだけのシーンである。にもかかわらず、異世界における非常に神秘的な魂の交流とでも言うべきものが完全に描写されている。この作品の最高のマジックがここにある。

 

いきなりこの映画を見たら退屈で途中で寝たと思うが、「世紀の光」を見ていたので、監督には病院機器へのオブセッションがあるのかな、とか、平板に見える日常シーンがいきなり実験映画のような前衛的映像に変化するときのリズムとか、途中途中に素人の集団演舞のようなものが出てきて、映画の最後を締めるのが必ずトランスミュージック的な音源に乗せた集団演舞であるとか、監督の癖のようなものを感じ取りながら見ていると飽きなかった。

 

この映画のテーマである「眠り病」というものが、タイの現政権である軍部支配への消極的反抗のメタファーであることは監督自身が明らかにしている通りで、自由のない世界では眠るくらいしかすることがないという強烈な皮肉が込められている。黙っていればわからないくらいの体制批判メッセージだが、堂々と公言しているところが肝が据わっている。