INSTANT KARMA

We All Shine On

交換日記

DAIGO&北川景子、交際期間中、二人は北川の発案で交換日記をしていたという。

DAIGOは

「結構忙しかったので会えるときに渡すっていうシステムで。メールとかラインとか、デジタルな時代にすごくアナログなんですけど、すごく楽しかったですね。字体から人間味があふれていたりして」

と告白。

その内容は、

「まず家族構成から。僕の場合、父母姉兄とか。そういう感じから始めて、生い立ちとか、どんな人生を歩んできたかっていう」

と約1年にわたって互いに日記を交換しあっていたらしい。

 

・・・読みたい。

 

ファンに向けたオフィシャル・ブログにあんなにいろんなことを語りながら、交換日記でも只一人の読者である恋人に対して自らの歩んできた人生を熱く語っていたとは・・・

AIGO(メンタリストじゃない方)が羨ましい・・・

 

自分のことはともかく、相手のことを知るのに「日記を書かせる」というのは、いかにも北川景子ならではのチョイスであろう。

メールでもラインでもなく手書きの日記、というところがポイントだ。

 

実は小生も、毎日必ず手書きで日記を書くようにしている。

ウェブ日記なんかと違い、手書きすることにより、自分では普段意識していなかった思考が流れの中から飛び出して来たり、ワープロで字を書く時には起こりえない誤字脱字などから、無意識の欲求や潜在的なコンプレックスなどが浮かび上がってきたりするといった貴重な経験もたびたび味わうことができている。

中二の夏から書き始めて、途中数年間中断したときもあったが、現在では大学ノート数十冊分の量になる。自分が死ぬ前に焼却処分しようと思っている。もし不慮の事故で死ぬことがあれば、家族には読まずに燃やすよう申し渡してある(嘘。これを書きながら言わないといけないと思った)。

誰でも、死んだ後には誰にも見られたくないものを段ボール数箱分くらいは持っている筈だ。日記に限らず、自分にしか価値のないコレクションとか、ひっそり隠し持っていたDVDとか、他人の卒業写真とか、床の下に埋めてある偽造硬貨とか、若い頃に作ったデモテープとか。

 

実は小生も、若い頃に交換日記をしていたことがある。

本棚に見慣れない古いノートがひっそりと挟まっていたのに気がついたので、とりだしてみたら交換日記だった。高校生の頃だからもう何十年以上も前のことだ。ひろげて眺めてみると、ちょっとカビ臭くホコリっぽい香りが漂い、いろいろな事を思い出してなんだか心が痛むような気持ちになった――

 

――夏休みも間近いある日、プールの帰りに校舎の裏で「好きです」って告白されて、数回デートをした後に付き合うことに決めた彼女は、天文学部所属のおとなしくて目立たないタイプの娘だったから、その時までほとんど気にかけることもなく、話をすることもなかったのだ。

お互いほとんど初めて付き合う異性だったから、どうやって二人きりで過ごしたらいいのかも分からなくて、とりあえずみんなの帰った夕方の校舎の非常階段に並んで座って、ぎこちなく抱きあったりして。どっちかが「もう帰ろうか」と言い出すまで、いつまでもやや苦しい体勢で抱き合っていたが、それ以上に何かする勇気はなかった。

声が聞きたいからって、夜遅くに電話をかけてきたりした。

部活動で遅くなった僕を、ひとりポツンと駅で待っていて、「暗いから家まで送ってね」と、手をぎゅうと握ってきた。

自転車の後ろで、ぎゅっと僕につかまる感触を感じながら、坂道をこぎ続けた。

そんなある日、急に「交換日記をしよう」と彼女は言い出した。

はにかんだ様子で、僕にちょっと厚めのノートを手渡して、「あしたの朝、靴入れのなかに入れておいてね」と言われた。

家に帰りノートを開くと、その1ページ目にはたわいの無い日常がびっしり書き込まれていて、下の方にはこのノートが全部埋まるまで仲良くしようね、と書いてあって、僕は何かこそばゆいような、ちょっと面倒くさいような気持ちになった。それでも僕は彼女のために一日おきに一生懸命ページをうめて、下手な日記を書いていたのだ。

そうして3ヶ月ほどたったある日、彼女はこんな風に書いてきた。

「あなたが嫌いになったわけじゃないけれど、なんだかもうときめかなくなった」

僕は訳がわからず、彼女と一緒に過ごした3ヶ月を思い出してみたけれど、僕自身彼女にときめいていなかったような気がした。そんな僕の様子を彼女は察したのかもしれない。

僕は彼女に好意を持つてゐた。しかし恋愛は感じてゐなかつた。

今でも手のひらに感じる柔らかくて温かな感触や、顔を寄せるとかすかに香る石鹸の匂いだけが僕の記憶に残ってはいるものの、他のことは交換日記を読み返すまで全く思い出せなかった。正直言えば彼女の顔すら思い出すのに一苦労した程だ。

そんな彼女と、何十年ぶりかに再会することになるなんて、まるで予想もしていなかった。

待ち合わせたホテルのロビーでソファーに腰掛ける彼女はかがやかしい顔をしていた。

それは丁度、朝日の光の薄氷に差しているようだった。

インターネット越しに何度かメッセージを送り合っているうちに、遠い昔の記憶が甦ってきた――昔日記を交換し合った女子高生は、すっかり大人の女になっていた。

「死にたがっていらっしゃるのですってね。」

「ええ。――いえ、死にたがっているよりも生きることに飽きているのです。」

プラトニツク・スウイサイドですね。」

「ダブル・プラトニツク・スウイサイド。」

戯れの中で数週間が過ぎ、僕たちはふたたび交換日記をするようになった。まず家族構成から。僕の場合、父母姉兄とか。そういう感じから始めて、生い立ちとか、どんな人生を歩んできたか。

結構忙しかったので会えるときに渡すっていうシステムで。メールとかラインとか、デジタルな時代にすごくアナログだけど、すごく楽しかった。字体から人間味があふれていたりして。

そうして3ヶ月ほどたったある日、彼女はこんな風に書いてきた。

「あなたが嫌いになったわけじゃないけれど、なんだかもうときめかなくなった」

交換日記の最後の頁にはこんな風に書かれてゐた。

「いつまでも降りつづく梅雨の雨のような性交のくり返しの中に消えていくのは熱の疲労だけではなくて、関係も消滅するの。快楽の高さも広がりも深まりも、いつかは一定になっているのを、快楽者は気づこうとしない。自己の消滅を肉体に賭け、それでいて、自己がそこからかろうじて這い出して来るのを、肉体が助太刀しているの。快楽の中で自己を握りしめ、ついに自己が独裁者となるときには、性交の相手は物体にすぎない。そして、物体との肉体関係に幻滅する――。快楽の果てに横たわる人間ふたりは、岸辺に打ちあげられた大きな腐った二匹の魚みたいに、無能で無力な、ひからびた二匹の息をする生物だった。それでもまだ、快楽者は自分の体液をしぼり出すの。わたしはそういう快楽者ではなかったの。」