INSTANT KARMA

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ある女優の告白(5)

およそ十年ぶりに訪れる実家の辺りの風景は、やっぱり奇妙なほど既視感を感じさせるものだな、と当たり前のことに今さら驚いたような反応を示す自分の心が不思議に感じられました。

 

年齢を訊かれた時に25歳と答えそうになる癖が付いてから半年以上が経ち、あと4か月くらいで誕生日を迎え本当の25歳になるので大分いい心持ちでした。

 

幼いころに通った教会の前を通り過ぎるとき、無意識のうちに右手で十字を切っていたことに気づいて、これもミラーニューロンの作用かしら、とアントニオとともに研究に没頭していたNYでの日々がフラッシュバックしました。

 

わたしの両親はクリスチャンでしたから、ばあやは日曜日にはわたしをおぶって教会の日曜学校につれて行きました。だから彼女は幼児のわたしに異教の讃美歌も教える羽目になったのです。それはたぶん英語でした。

 

ぐっとばあい

ぐっとばあい

びいおーれす

かんだんつるう

 

何のことかわからないまま、わたしも一緒にびいおーれす、かんだんつるうとうたったのです。

 

中学卒業と同時に家を出てから、妹とはときどき連絡をとりあっていました。両親は妹をつうじてしかわたしの生活を知りません。

 

黙って家を出て勝手に芸能界に入った娘など、両親にとっては死んだも同然でした。日本で女優として成功したときにも、互いに連絡はしませんでした。

 

親がマスコミのゆがんだ報道をどこまで信じているのかは分かりません。仕方のないことですが、妹でさえかなりマスコミのゆがんだ情報を真に受け、わたしがスピリチュアル療法にハマっているとか、被災地に慰問に行って現地のスタッフや被災者に逆ギレしたとか、今度の国政選挙に出馬するなどといったガセ情報を信じていました。

 

わたしが女優になったのを誰より喜んでくれたのは、ばあやでした。近所中にわたしのことを自慢して回ったそうです。わたしが女優になるのは「知っていた」と言い、ページが擦り切れるほど掲載された雑誌を読んでいたそうです。

 

ばあやはわたしをとても可愛がり、赤ん坊のわたしを「一番ようけ風呂に入れたんはウチじゃ」と自慢するのが好きでした。手紙を送れば利口げで達筆なきんご褒美じゃと言い、お礼を入れた返事をくれ、父が失敗してわたしを猿の子どものように散髪をしたときは、「器量がええから似合うとる」と満足そうに笑いました。とにかく、ばあやはわたしに世界一甘いひとでした。

 

アントニオーニとの結婚式にもわたしの家族は来ませんでした。招待状はうけとったが父が行くのに反対したのだ、と妹が知らせてきました。同じメールで、数年前にばあやが亡くなっていたことを知りました。

 

なぜいちど会いに帰らなかったのか、この何年かが悔やまれました。「利口なんと器用なんと健康なんが苦労するように人生はできよんよ」たしかこんなことを、中学へ上がったばかりの頃に話してくれました。そのことについて今もっと詳しく聞きたい。戦争を二回経験し、夫と何人かの子どもに先立たれ、癌を乗り越え、それからうちの母に少し厳しくて、わたしと妹にとびきり甘く、お洒落が大好きで綺麗なばあやに会いたくて喉が苦しくなりました。

 

わたしの生まれ育った木造スレート葺二階建ての家は完全に姿を消し、新たに建替えたばかりの鉄骨造三階建ての灰色の要塞のような家に生まれ変わっていました。

 

タクシーを降り、門扉のインターフォンを鳴らすと、十秒くらいして妹の上ずった声が聞こえました。

 

「姉さん?」妹はインターフォンのモニターでわたしの姿を認めたようでした。

「わたしよ」

「どうして?」

「とりあえず中に入れてよ」

 

「香水って、わたしは眺めるだけね」部屋のベッドに腰掛けた妹は小さな瓶を手のひらにのせて笑いました。

「気が向いたらつければいいわ。男と会うときとか」

「香水のにおいが嫌いなひとだったら?」

「勝手にセイ」わたしは笑いました。

「でも日本人は、体臭が強くないから必需品ではないわね」とわたしは弁解しました。

「ビックリしたよ、だって・・・」と妹はいい、何をしゃべったらいいのか分からなくなって口を閉じました。わたしはその瞬間、改めてまじまじと、今年大学を卒業するという妹の顔を見ました。想像していたよりもずっと女の顔だな、と思いました。

「お母さんは?」

「お買い物。もうすぐ帰ると思う」

「お父さん元気?」

「・・・うん」と妹が返事するまでに少し間が空きました。

「さいきん日本にいるのは知ってたけど、まさかうちに来るとは思わなかった」

 

母が帰ってきました。妹の部屋にいるわたしを見て入り口で呆然と立ちすくみました。

 

「今日はお父さん遅くなるのよ」リビングで目をぱちくりさせながらわたしからのお土産をうけとった母は言いました。

 

「今日はこれで帰ります、行くところがあるので」とわたしは言いました。最初から父に会うつもりはありませんでした。

 

「私の部屋に泊ればいいじゃない」妹はわたしともっといろんな話をしたそうでした。

 

「もう一度来なさい。お父さんには私から話しておくから」そういうと母はしげしげとわたしを見つめました。まるで目の前にいる女が本当に自分の娘なのかどうしても確信がもてないかのようでした。わたしはもうこの家の中にいてはいけないような気持ちになりました。

 

「じゃあね」

 

「今度は連絡してから来なさい。お父さんには私が話しておくから」母は同じことを繰り返しました。まるで父の許可がないと娘と何を話すべきかが分からないとでもいうようでした。

 

「わかりました」とわたしは言いましたが、もう来るつもりはありませんでした。

 

「いつイタリアに戻るの?」別れ際に妹はまだ名残惜しそうに尋ねました。

 

「もう戻らないかも」わたしはタクシーに乗り込みながらそう言うと、まだこれからどこに行くのかを決めていないことに気づきました。

 

タクシーを東京に向けて走らせていると、メールの着信音がしました。妹からでした。

長いメールの最後はこう締めくくられていました。

 

・・・自分は自分だし自分のこと嫌いな時があっても改善を重ねながら自分として生きていたいし、誰かの自分への理想より自分の自分への理想を叶えたい。

どちらも程好くご自由に、なんて器用に出来るタイプでもないし、だからただ自分として生きてくけれど、誰かの理想を叶えていた方が人から好かれるから、つらい時もあるし、ごめんなさいって思う時もあるよね〜。

 

未だに何が正解か分からないから成人しても全然大人になれてる気がしないけど、こんなんでも周りに素敵な人達が居てくれると、これも不正解ではないのかなーなんて。

甘えないようにしなくちゃ、ではあるけれど・・・。

人の理想は叶えられなくとも期待に応えられるだけの人にはなりたい。

もっと頑張らなくちゃ!

お姉ちゃんも頑張れ!

 

そのときふと、直観が閃いたのです。

ずっと謎だった、ばあやに教わった「ぐっとばあい」という英語の讃美歌の意味が思いついたのでした。

 

「ぐっとばあい」は、もとより good-bye にちがいない。

「びーおーれす」は、 be honest 若しくは be always、

「かんだんつるう」は、 kind and true ではなかろうか?

 

わたしにとって、ばあやこそは、まさにオールウェイズ・カインド・アンド・トルウでした。後部座席の窓を開けると、この歌が、過ぎ去った遠い風のように、わたしの耳をうちました。