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村山将棋を語る

村山聖名局譜』より。

羽生 何て言うのか、こう波がある感じ。大きな波がある感じ。悪い手も指すけれど、すごくいい手も指す。すごい勝負手を指すとか。強くそういうことを感じますね。

先崎 渋さはなかった、まったく。あの言動どおりだった(笑)。とにかく叩き切っていくものね、基本的に。

羽生 そうだね。良くても叩き切るっていう棋風。

先崎 平成10年の8月に亡くなったでしょう。2月にNHK杯の決勝で(羽生に)負けるんだよね。

羽生 あの日、彼、前日も対局だったんだよね。で、すごい疲れているみたいだった。休場前で、すごい対局していたんだよ。さすがにしんどかったみたいで、打ち上げの途中で帰っちゃった。

先崎 あんな負け方したら、帰りたくもなるわな。

羽生 でも僕、4月に名人戦イベント(広島)で会って話をして、まさか亡くなるとは思わなかった。

先崎 4月で8月だものね。

羽生 でも、あとで知った。入院していたということはあとで分かったけど、そんな感じじゃなかった。結構元気だったという言い方は変だけど、控室にかなりいたよ。夕方ぐたいからきて。

先崎 羽生さんに会ったんだ、と言っていたらしいよ。

羽生 いろいろ話をして、解説から戻ってきたときには、もういなかった。

先崎 8月に亡くなるでしょう。ぼくが2月に桜井さん(昇七段)に勝って、昇級したときに、投げた瞬間か、ほとんど駒を戻すか戻さないかに肩を叩かれて、「おめでとう」って言われた。それがあとで考えたら、すごいときだったんだね。がんの再発が見つかった直後なんだよ。

 体調が悪そうだなとは思ったけど、そのときは知る由もないから、終わって新宿に飲みに行ったんだけど、彼もきて。酒は飲まなかったけど、3時くらいまでその場所にいて。

 「今日は何だったの」と聞いたら「ハー」とか言っていた。

羽生 村山君、よく「ハー」って言っていたよね。「ハー」って(笑)。

先崎 終わった瞬間に肩を叩かれて、びっくりしたんだ。

羽生 最後に会ったときに、早指し新鋭戦の深浦―鈴木戦の話題になってね。これがすごい形の将棋で、それが面白かったねとか、そんな話をしたんだ。

先崎 へえー。彼は入院中も棋譜は並べていたらしいね。そうだよな、入院する前にこれだけの将棋が指せれば、体が健康なら俺が日本一だと思っていたよな。

羽生 昇級も決めた所だったし。

先崎 最後に5連勝くらいしたんでしょう。

羽生 最後はすごい、あの体調でね。すごい。

先崎 NHKであんな罪な逆転勝ちとかしなきゃさあ(笑)。

羽生 だから、あれは前の日もあるんだよ。前の日もすごい将棋で、200手くらい指してるんだ。

先崎 誰と?

羽生 郷田戦。

先崎 矢倉?

羽生 振り飛車。村山君が振り飛車で、9筋からごちゃごちゃした将棋になって、これも最後に逆転負けしたんだよ。200手もやって、次の日がNHK杯の決勝だから。

先崎 2日続けてひどい目に遭った。

羽生 そうそう。

先崎 NHK杯の決勝はびっくりしたものな、最後。

羽生 それはそうでしょう。僕もビックリしたよ。

先崎 しかも慌てて指したんじゃなくて、ヒョイと指したんだよね。慌てて指した悪手じゃないんだ。

羽生 さも当然のように指して、アリャって感じだった。

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この将棋は、映像が残っていて見ることができるが、どう見ても秒読みに追われて慌てて指したように見えるんだけどねえ・・・

前の日に郷田と200手以上の勝負を闘っていたとは知らなかった。

下は弟弟子山崎隆之七段によるNHK杯の解説。

山崎七段については、こんな話もある。

1999年に刊行された別冊宝島「将棋これも一局 読本」、故・池崎和記さんの「故村山聖九段も才能を見抜いていた最年少棋士山崎隆之」より。

故村山九段に似てきた!

 将棋は5歳で覚えた。父親が家で詰将棋をやっているのを見て、一緒に遊び出したのがきっかけという。関西奨励会に入ったのは小学6年のとき。師匠は森信雄六段で、平成10年8月に29歳の若さで急逝した村山聖九段(山崎と同じ広島県出身)は同門の兄弟子である。

 その村山は生前、周囲に、「山崎君はA級八段になれる男です」と語っていた。身びいきで言ったのではない。その証拠に、山崎本人には、「弱いね。こんな将棋を指すようじゃ山崎君も終わりだな」と、まったく逆のことを言ってハッパをかけていたのだから。

 山崎がプロ棋士として第一歩を踏み出したとき、村山は病気休場していたから、二人は公式戦で戦ったことはない。山崎によると、10秒将棋(練習将棋)で数局教えてもらっただけだという。なのに村山は山崎の才能を見抜いていたのだ。

 一流棋士の見立てに、まず狂いはない。だとしたら山崎は、兄弟子の期待にこたえなければいけない。

 山崎は今、兵庫県伊丹市でひとり暮らしをしている。奨励会時代は関西将棋会館にもめったに顔を見せなかったが、最近は毎日のように控え室にやってきて、若手棋士奨励会員たちと練習将棋を指している。

 そんな山崎を見ていると、だんだん村山さんに似てきたな、と思う。