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この世界の片隅に(2)

この映画を見に行くのにあまり気が進まなかったのは、あくまでも声優としての出演であり女優のん(能年玲奈)の復帰作として認めることに抵抗を感じていたことと、広島を舞台にした戦時中の作品なので(原作未読)観ているのが辛いことになるのが目に見えていると思ったこと、あちこちから聞こえてくる前評判があまりに良すぎたため天邪鬼な気持ちが頭をもたげてきたこととなどさまざまな理由があった。

 

半ば義務感から無理やり身体を引きずって行ったようなところがあり、上映直前に飛び込んだ映画館ではチケット売り切れ直前で、最前列真正面の席しか空いていなかった。最前列で映画を見たのは初めてだったが、結果的には見づらいこともなく、あと5分遅れたら立ち見になるところだったので幸運だったと言えるかもしれない。

 

予告編が始まり、映画が始まるまでの10分が長く感じられた。少しイライラしかけたところで本編が始まった。冒頭の1分で早くも意味不明の涙が溢れ出し、慌ててハンカチを取り出した。まだ物語は何も始まっていないしこれからのストーリーも知らない。ただすず(主人公)が登場して何か言葉を発しただけの場面でなぜこんなことになるのか訳が分からなかった。

 

のんに対する思い入れが強すぎたからだろうか。彼女のこれまでの厳しい境遇とすずの辛い境遇を無意識のうちに重ね合わせてしまったからだろうか。両者(のんとすず)に共通するのは、傍から見て厳しく辛い境遇に置かれているにもかかわらず、のんびりとマイペースに善良そのものの言動を淡々と続けていけるところだろうか。それが目には見えない常人離れした芯の強さを感じさせるところだろうか。

 

いずれにせよ、この映画を見た多くの人も感じたに違いないことだが、この作品ののん(能年玲奈)の声には何かが宿っていた。良くも悪くも、通常のアニメ作品として想定されるようなところを超えた領域からその声は聞こえてきた。

 

この映画の内容そのものが彼女の声を求めたと言えるのかもしれない。すずというまったく無害で善良な普通の女性のようでいて決して普通ではない個性が、あの戦時下の日本でどのように生きた(生きさせられた)のか、環境に対して受動的であらざるを得ない立場でありながら自らの置かれた場所でどんなふうに必死で生きて見せたのかを表現するのに、のんはまさにうってつけの存在だったろう。

 

ただし彼女の声優としてのポテンシャルは未知数であり(以前1回声優の仕事はしたことがあるが)、「この映画には能年玲奈(のん)の声しかない」と確信してオファーしたという片渕須直監督の慧眼には敬服せざるを得ない。

 

専門家としての声優の技量に及ばない台詞回しも、この役にはむしろプラスに作用した。すずの素朴さ、不器用さ、柔和さ、優しさ、傍から見て心配になるほどの無防備な天真爛漫さ、しかし決して愚かではない人としての賢さと強さといったキャラクターの属性が、すず(のん)の相槌やため息ひとつで完璧に表現されていた(この表現力に女優のんの本領が発揮されていた)。

 

自分はこれまで多くの素晴らしいアニメ作品を見てきたが、率直に言って本気で心を揺さぶられるという経験はなかった(子どもの頃に見た『あしたのジョー』は除く)。しかし、この作品には、終始心を揺さぶられっぱなしだった。のん自身がこの作品について語っている通り、「生きているだけで涙が出そうになる」かけがえのない日常の何気ない描写がこんなに尊いものに感じられたことはなかった。

 

20年8月に広島で何が起こるかを知っている観客とってこの映画は始まりからカタストロフに向けたカウントダウンという構造を持っているのだが、この作品の優れたところは決してカタストロフを支柱とせず「その先」を示しているところだ。この映画を見た後に得る感触は、絶望ではなくたしかに「希望」であり、それは奇跡的なことだと思うのだが、その奇跡を可能にしたのはやはりのんの声があったからこそだということを否定できる人はあまりいないだろう。

 

あまちゃん」で奇跡を起こし、「この世界の片隅に」でも奇跡を起こしたのだから、彼女の神通力めいた女優力はやはり本物なのだろう。映画開始1分で涙が溢れたという感想を他の人(複数)のツイートでも見た。そんな超常現象を引き起こせるのは「のん」しかいない。

 

この映画自体は、原作との関係まで含めて、いろいろな面からさまざまに語ることのできる奥深い作品だと思うが、取り急ぎ今自分が書きたかったのはそのことだけだ。

 

原作(上・中・下の3巻)を購入したので、これから読むのが楽しみ。