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この世界の片隅に 備忘録

能年玲奈(のん)がすずの声優じゃなかったら『この世界の片隅に』という映画を観に行かなかったかもしれない。そうするとこんな映画体験をし損なったのかと思うとぞっとする。でものんが声優じゃなかったらここまでの凄い映画になっていなかったかもしれない(ほぼ全編すずの台詞とモノローグで構成されているから)。それに、そもそものんが事務所トラブルで干されることがなければこの声優の役をやることもなかっただろう。そう考えると不思議な縁だなあと思う。

 

これほど口コミとネット効果で動員がすごいことになっているのに、民放テレビがまるで無視しているというのも面白い。「大人の事情」だか何だか知らないが、テレビというメディアが現状いかに腐り切っているかがよく分かる話だ。

 

そんな中でなぜか「週刊大衆」の公式ツイートが「コノセカ」とのん情報をツイートしまくってるのが笑える(笑)。

 

NHKもフェイスブックのページで「クドカン大河ドラマの主役は誰がいいですか?」というアンケートをやっていて、ちゃっかりのん(能年玲奈)が選択肢に入っている(笑)

もちろん圧倒的に彼女を推す声が大きい。

 

総務省のアカウントが映画の上映情報をリツイートしたり、国会では議員連盟が映画の上映会を企画したり、毎日新聞の取締役が読売新聞の記事を引用してのんを褒めたり、雑誌ではのんのグラビアが出たり写真集も出たりと、もはや民放テレビ以外のメディアは完全に「のん推し」シフトに移行している。とてもよいことである。

 

ネット上や紙媒体やラジオその他いろんなところで断片的に知った『コノセカ』にまつわる「ちょっといい話」を備忘録としてまとめておく。(随時更新)

 

片渕須直監督は、初めてこうの史代先生の作品を読んだとき、自分が存在を知らなかった親戚に、ある日突然出くわしてしまったような感じがした

 

こうの史代先生は「名犬ラッシー」が大好きだったので、片渕監督からアニメ化したいという手紙をもらったとき嬉しくて手紙を枕の下に敷いて寝た

 

・監督がのんを初めて見たのは『鍵のかかった部屋』(2012年)というTVドラマが最初だった

 

・その後『あまちゃん』(2013年)の第1話で主人公の天野アキを演じてるのを観たとき「あー、あの人か」とびっくりした

 

・のんが「天野アキちゃんは変な子です」と発言しているのを見て、単にハマり役だっただけでなく、のんという子は、確固とした彼女自身があったうえで、役作りとして実年齢より上の秘書や下の高校生を作りあげてるんだなと分かった

 

・監督はのんからの声優を引き受けますという返事の手紙を大切に保管している

 

・のんから監督に来た手紙(メール?)に「命を懸けてやります」と書いてあった

 

・監督はのんに初めて会ったとき「やっと会えた」と思った

 

・のんは初めてのリハーサルの時ガチガチで本人が「殺されるんじゃないか」と思うくらいに緊張していた

 

・監督がのんの緊張を解くために「北三陸から来た、天野アキです!」というセリフを振りを付けてやらせた

 

・アフレコは長時間ぶっ続けで食事なしでやったためにのんのお腹が鳴ってマイクが拾ってしまった

 

・監督曰く、のんはキスシーンがすごく苦手で、内面が乙女というか小学生女子のようだった

 

・のんは自分には「生活の才能がない」と思っていたが、この映画の仕事をきっかけに食事や洗濯など生活を楽しめるようになった

 

・のんは「監督は生活の才能がない」と言って、食事もとらずに仕事している監督に「焼きそばパン」を差し入れした

 

・のんは原作の最後にある「・・からの手紙」を自分が読むつもりでやる気満々で練習してきた

(実際はコトリンゴの挿入歌の歌詞になった)

 

こうの史代先生はPVでのんのすずの声を初めて聴いたとき、自分の作品がふわっと地面から浮いたような気分になり、自分が表現した以上の世界に連れて行ってもらえるんじゃないかと思った

 

・のん曰く「すずと自分の共通点は、ぼーっとしていると言われるところと気が強いところ。違うところは結婚できてるところ!」

 

・監督は自分は世界で一番すずのことが好きだと思っている

 

・監督曰く「すずさんは今91歳で、今も広島カープを応援してますよ」

 

・監督曰く「『ローマの休日』がワイラーの映画だと思う人は世の中にどれくらいいるだろうか。でも、『ローマの休日』はオードリー・ヘプバーンの映画だ、みんな知っている。映画ってそういうものなんだ。『この世界の片隅に』は のん の映画であってよい。そうあるときこの映画は幸せを手に入れたことになる。」

 

この作品が世に出た背景に、ひとりのプロデューサーによる、挑戦と革新的な試みがあった。アニメ企画プロデュース会社GENCOの社長であり、同作品のプロデューサーを務めた真木太郎氏に、この映画の成り立ちについて語ってもらおう。

 

「2013年の1月ごろ、MAPPAの丸山さんから “こういう状況だから参加してほしい”と請われ、そのとき初めて片渕監督の前作『マイマイ新子と千年の魔法』をDVDで見たんですよ。それで、ものすごくびっくりした。泣かされた。それも尋常じゃないぐらい。監督に会いたいと思い、同時に“これは引き受けなきゃいけない。これを引き受けずに、何がプロデューサーだ。作家を世に出すのがプロデューサーの役目だ”と。苦労を背負い込むことになるけれど、会社としてもそういうことをやらないといけない時期。“片渕を男にしないのならば、プロデューサーの風上にも置けない”とさえ思いました」(真木氏)

 

片渕監督の前作『マイマイ新子と千年の魔法』は、2009年11月21日から松竹配給で全国38スクリーンにて公開されるも、興行収入は2873万8500円と惨憺たる結果。作品評価こそ高かったものの、商品としては失敗。ファーストラン終了後、一部のミニシアターや名画座でセカンドランが行われたり、上映会が開催されたりしたが、現在までの累計興収は4805万4600円にすぎない。

 

クラウドファンディングで話題を作り、同時に出資企業を募り製作委員会を組成するという、真木のもくろみは徐々に現実化して行った。まず出資を申し出たのが、都内を中心に映画興行・配給・製作のほか、飲食店経営なども手掛ける老舗企業・東京テアトルだ。

 

クラウドファンディングの反応がとてもよく、それで“配給をやります”と、東京テアトルが手を挙げてくれた。それから渋谷のミニシアター・ユーロスペースの堀越社長と北條支配人が来社され、“この映画を上映したい”と言ってくれました。テアトルとユーロスペース。なんて非常識な人たちだろう(笑)。でも、涙が出ました……」(真木氏)

 

「ネット上、特にSNSでこの映画が絶賛されていることについては、クラウドファンディングからスタートした市民運動ととらえています。これも世の中の“常識”に対するベクトルだと思います(笑)。SNSで上がっている声は、宣伝ではなく応援。応援団っているんだなあ。多くのお客様にご覧いただいています。いずれも好評をいただいています。大変ありがたいことです」(真木氏)

 

兵器などの製造に駆り出された、女学生たち。

原作には登場しないが、当時を知る市民から、「駅前をよく歩いていた」と聞き、シーンに入れた。そこには、こんな思いが込められていた。

 

片渕監督曰く、「女学生たちが、かなりたくさん、防空壕で生き埋めになってしまったらしいんですよね。それを助けに行った、当時中学生だった男性の話とかうかがって、とにかく掘って、人工呼吸するんだけど、かわいそうだったって話とか。なんとか、その女学生たちの姿を、画面に残したいなと思って、駅前にそうやって歩かせたりとか。1人ひとり、人生があって、そこを生きていた方々ってことですよね」

 

舞台挨拶の監督「すずさんは生活苦を苦と思わずあたり前だと思ってたが終戦で『我慢していた』ことに気づいてしまった。すずさんは今91歳。きっと『我慢しない』で日々楽しく暮らしている。」