INSTANT KARMA

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この世界の片隅に(5)

2回目は、さすがに少し冷静に見れた。それでも所々ヤバかったが。

池袋、487席満席で、上映後に監督の舞台挨拶があった。

監督はほんとうにすずさんが好きなんだなあというのが伝わってきた。

1回目は嗚咽を堪えているうちに何が何だか分からないまま終わってしまったが、2回目を見て、見落としていた箇所がたくさんあったことに気づいた。

1回見た後に原作を読んだことでずいぶんディテールを補完できたことも大きい。

ヤフーレビューでの感想に、「すずさんの声が、もし『マンガ日本昔ばなし』のような声だったなら公民館とか市民ホールで観る映画になっていただろう。のんさんの声が、すずさんに命を吹き込みこの作品を全国ロードショーにふさわしいレベルに押し上げている」というのがあったが、改めて同感。

技術的にはもっと上手くすずを演じる声優もいただろう。でも、それはたぶん「いい映画」に留まり、これほどの感動を呼び起こす作品にはならなかっただろう。誰よりもすずさんを愛しているが故にそのことを熟知していた片渕監督が「のん」の声を執念で呼び寄せたのだと思う。

(以下盛大にネタバレあり)

個人的にツボだった箇所。

・20年3月、段々畑で空襲に遭ったとき、すずが「ここに絵の具があったら…、いかん、うちゃなにを考えてしもうとるんじゃ」と心の中で呟く場面

・19年6月、防空壕で「うちゃ今、この人とこんなことしとる…」と心の中で呟く場面

この二つの箇所は、原作にはないオリジナルのセリフだ。

見事な改変である。前者は特に、爆弾の煙がさまざまな色であったことを史実に忠実に再現した映画ならではの印象的なセリフだ。

後者は、「子供である魂をもったままお嫁に来てしまったすずさん」の声だ。これは監督と「のん」のディスカッションの中から出てきたセリフだろう。

原作と映画を両方知ると、それぞれは独自の作品として扱われるべきだということが分かる。

どちらがより優れているということではなく、別個のよさがある。

色々な人が指摘しているように、原作では白木リンにまつわるエピソードが重要な部分を構成しているのだが、映画ではその部分がほぼカットされている(その物語はエンディングロールと共に流れるイラストで補足されている)。

そのために、水原が泊まりに来るシーンや、空襲を受けて水路で周作とすずが折り重なって語り合うシーンの意味合いが異なっている。

映画では夫婦愛が深まるきっかけのように描かれているが、原作ではリンのことが背後にあるのでそんなにシンプルな話ではない。

監督がこのエピソードを敢えてカットした理由はインタビューなどで説明されている。要は2時間という限られた時間枠の中で物語を複雑化したくなかったのと、戦争で傷つくすずが夫婦関係でもさらに傷つけられる過程を描くと物語を最終的な「救い」に着地させることが厳しくなると考えたようだ。

僕の知る限り監督は触れていないが、たぶんすずの声を「のん」がやることが頭にあっての改変だったのではないか。

原作者こうの史代が語っているとおり、のんが声をあてることですずのキャラクターに原作以上の「純粋さ」が加わった。この純粋さを生かすために、リンのエピソードは敢えて捨てたのだと思う。

個人的には映画での改変は大正解だったと思う。この改変によっても、作品の深みはまったく損なわれていないし、より普遍性を持たせることに成功した。

細かな点を挙げていくときりがないほどよく作り込まれた作品だが、2回目の鑑賞でもどうしても涙を抑えられなかったすずのセリフがある。原作にもあるセリフだが、すず(のん)はこれを何の感情も込めないような口ぶりで、むしろ明るい調子で、さらりと言うのだ。

「治るよ」

「治らんとおかしいよ」

僕はこれだけでやろうと思えば半日号泣できる。