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渥美清と俳句

大掃除を眺めている最中にテレビをつけていたらたまたま流れていた、BSで放送していた、渥美清のドキュメンタリーが大層よかった。 渥美は45歳のときに、永六輔の誘いで句会に参加するようになり、「風天」という俳号で、死ぬまでに270句を詠んだという。彼の繊細で鋭い観察眼が光る、味わい深い俳句を紹介しながら、生前を知る人々の証言とともに俳優・渥美清の生涯をたどるドキュメント。 彼の心情がしみじみと伝わってくる、とてもいい句ばかりで感動した。

好きだから つよくぶつけた雪合戦

 

マスクのガーゼずれた女(ひと)や酉の市

 

赤とんぼ じっとしたまま 明日どうする

 

ポトリと言ったような気がする 毛虫かな

 

初めての煙草覚えし隅田川

 

日暮里の線路工夫や梅雨の朝

 

金魚屋生まれた時から煙草くわえたよう

 

うつり香のひみつ知ってる春の闇

 

ひるがを何思いさく すべてむなしく

 

ほうかごピアノ五月の風

 

鮎塩盛ったまま固くすね

黒柳徹子が選んだ句

 

いみもなく ふぎげんな顔してみる 三が日

 

テレビ消し ひとりだった大みそか

 

村の子が くれた林檎ひとつ 旅いそぐ

 

汗濡れし乳房覗かせ手渡すラムネ

 

毛皮着て靴ふるき はな水の女(ひと)

俳人金子兜太は、渥美の俳句を読んでこう語る。

俺の思ってた渥美っていうのはもっと正直な人だと思ったけど、これは相当なバケモノだぞという思いが出てきましたね。あれは、相当なチャップリン級の喜劇俳優の素質を持ってるんじゃないかな。自分を戯画化して、カリカチュアライズして、どんどん人前に晒すことが平気な男ですね。しかもそれをかなり巧妙に隠しながら、あるいは修飾しながら、そういうことのできる人だと、俳句を読んで思いました。

いま暗殺されて 鍋だけくつくつ

 

台所 誰もいなくて 浅蜊泣く

 

麦といっしょに首振って歌唄う

 

蓋あけたような天で 九月かな

 

朝寝して 寝返りうてば 昼寝かな

 

花冷えや 我が内と外に 君が居て

 

やわらかく 浴衣着る女(ひと)の び熱かな

 

おふくろ見にきてる ビリになりたくない白い靴

 

月ふんで 三番まで歌う かえり道

 

少年の日に帰りたき 初蛍

 

むきあって同じお茶すするポリと不良

※不良は少年の頃の自分のこと

 

はえたたき握った馬鹿のひとりごと

山田洋次はえたたきに愛着があるんじゃないかな」

 

貸しぶとん 選ぶ踊り子かなしい

※浅草のストリップ小屋時代。浅井慎平「かなりクールで情感が深い」

 

ステテコ 女物サンダルのひと パチンコよく入る

コメディアンとして売出し中だった渥美を結核が襲う。2年サナトリウムで療養し、右肺を切除。

秋の野犬 ぽつんと日暮れて

※散歩の途中、よく犬に話しかけていたという。

 

冬の蚊も ふと愛おしく 長く病み

 

山吹キイロ ひまわりキイロ たくわんキイロで 生きるたのしさ

※手術して復帰後、舞台に立つ時には黄色の衣装がお気に入りだった

 

蓑虫 こともなげに 生きてるふう

 

雨蛙 木々の涙を 仰ぎ見る

 

げじげじにもあるうぬぼれ 生きること

 

草しげり 終戦の日とおく 飛行機雲

 

天皇が好きで死んだバーちゃん 字が読めず

寅さんの役しか来なくなったことに悩んだ渥美清は、あるとき俳人尾崎放哉を演じたいと親しい脚本家に告げた。

「あの人は結核で死ぬんだけど、俺はあの『咳をしてもひとり』を演じられる。結核の人は肺が空っぽになってるから、咳が響くんだ」と言って、演じて見せた。

結局この話は実現しなかった。 寅さん一本で行くと決めた後、渥美は前田吟に「スーパーマンは飛ばないんだよ」と語った。まるで空を飛べるみたいに演じて見せるのが役者の仕事だと。

前田と一緒に寅さんの喜劇を撮影するスタジオは、時折監督の笑い声が聞こえるほかは、奇妙なほど静かだったという。

平成4年、すでに癌は見つかっていたが、句会には参加した。 句会では物静かで、出される食べ物やビールにも一切手を付けず、真摯な姿勢が印象的だったと参加者は語る。

どんぐりのポトリと落ちて帰るかな

 

お遍路が一列に行く 虹の中

※「虹」というお題で平成6年6月6日の句会で詠んだ句

平成8年8月4日、享年68歳。

花道に 降る春雨や 音もなく

 

蟹悪さしたように生き

金子兜太「俺なんか頭下げるね、こういう句を見ると。こういう風に見れるというのはすごいね」生前の渥美清を知る多くの知人が自画像のような一句と。

ナレーションは吉永小百合。 年の瀬にいい番組を見た。