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この世界の片隅に(9)

キネマ旬報日本映画ベストテンで第1位に『この世界の片隅に』が選出というニュース。この映画の評価はとどまるところを知らない。あとは海外の賞しかなくなってきた。

この映画は観た後に容易く言語化できるような作品ではない。「泣ける」とか「鳥肌立った」とか「心が震えた」とかいう感想で済ませられるものでもない。過去の古典的傑作映画と同じで、ただ作品を「体験」し味わうことができるだけだ。

たとえば僕は映画の冒頭1分も経たぬうちから涙がこみあげてきて映画が終わるまで嗚咽を上げて泣き崩れるのを必死で我慢しなければならなかったのだが、それは物語を理解したからでもアニメーションの素晴らしさに感動したからでもない。ただこの作品に宿っている<何か>が自分の心の(敢えて「魂の」と呼びたい気もするが)琴線に触れてしまったからで、同様の現象は、宮沢賢治の或る作品を読んだときにも起こるし、ベートーベンの第九交響曲を聴いたときにも起こる。この映画にはそれらの芸術作品と共通するものが在った。

『この映画の片隅に』という映画は、自分の魂に触れさせてくれたわけで、これはやはり主人公のすずの声優として能年玲奈(のん)が主演していたことが大きい。彼女の声からは奇跡のように純粋なものが伝わってきて、多くの聴衆は「のんの声がすずにハマっていた」というが、単にそんな言い方で済ませられないレベルの化学反応が映画館という場で起こっていた。

「のん」がこの作品に取り組むまでまったく演技の仕事をさせてもらえないブランク期間が2年近く続いた。彼女が耐え忍んできたこの苦難を、戦時下のすずの苦難に無意識のうちに重ね合わせたというと不謹慎の誹りを免れないだろう。しかし、「すず」というキャラクターと「のん」の中にある特質は確かに共鳴しており、それが必然的に聴衆(特に自分)の中に尋常でない感動を呼び起こしたのである。

この映画の持つ豊饒さと「すず」の表層的ではない奥行きのあるキャラクターが、「のん」自身の多面的な存在感とうまく呼応していた。僕はこの映画を見て、のん(能年玲奈)が特別な存在であり、時代に選ばれた女優であることを改めて確信せざるを得なかった。というより、そう感じない人がいなかったとしたらどうかしている。それほど能年玲奈(のん)の天賦の才能は明らかだ。ライバルは同世代の若手女優ではない。「のん」は最初から単なるアイドル女優のカテゴリーには属していない。彼女のライバルがいるとするなら、原節子高峰秀子のような日本映画の歴史を作った大女優たちだ。僕は本気でこう書いているのだが、狂人の叫びように聞こえることは承知している。それでも後になって皆が認めるようになってから「実は俺もそう思っていた」などと告白して赤っ恥をかくのは嫌だから今こう書いておくことにする。