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バンコクナイツ(2)

今回はネタバレ含むので未見の方はご注意

 

昨日のブログで映画『バンコクナイツ』について身も蓋もない否定的意見を書いてしまった後で、ネット上でこの映画に関するレビューをいろいろと読んでみたが、当初の感想を変える必要は感じていない。

ただ「空族」というスタッフたちの、映画制作への姿勢というか、意欲みたいなものは買いたい(偉そうですみません)。既存の映画へのチャレンジ精神は、つまらん商業映画よりは百倍マシだ。この作品に限っては、脚本と編集をもっと磨けば、たとえば2時間でずっといい映画になったのではないかという気がする。

富田克也監督は、『サウダーヂ』の公開前に、アピチャッポン・ウィーラセタクンと対談しているくらいだから、タイを舞台にしたこの映画を撮るに当たって、アピチャッポン監督のスタイルに影響を受けていることは確かだと思うが、この作品に限っては中途半端で裏目に出ている気がした。 つまり『バンコクナイツ』は明確で分かりやすい物語性を放棄して、映像そのものの力によって菊地成孔言う所の「長いMVを見ているような」ある種のヴィデオ・インタレーション作品的な効果を意図したように思える(映画館に掲示されていた批評の中にも「いつまでも見ていたくなる」旨のレビューがあった)。

しかし端的に言ってこの作品の映像はそこまで陶酔的ではなく、度々引き合いに出して悪いが、アピチャッポン作品のような魔力を宿していなかった。若干陶酔的だった部分はタイの自然そのもの、バンド演奏や占い師自身のパワーによるものだった。 それでも、魅力的な映像はあちこちにあった(特にイサーンの部分とラオスの部分)。バンコクの日本人たちのしょうもないいかがわしさもよく描かれていた。イサーンのバーでうらぶれたフランス兵がクダを巻いている場面なんかとてもよかったし、幽霊のオヤジも何だか意味ありげで面白かった。だが、「意味ありげで面白い」レベル以上ではなく、途中出てくる共産主義ゲリラのような映像は中途半端で効果的ではなかった。

この映画の失敗の8割以上は、終盤のまとめ方の悪さにあると思う。主役のオザワがラオス(?)で銃を買う場面、もう一人の主役ラックと船で島に向かう場面、浜辺でオザワが寝過ごして沖に流された(?)ラックを助けに行くくだり、その後の別れの暗示、そしてラストシーンの地元のイサーンで赤ん坊を抱いているラック(=イン姉さん)、と終盤の展開を思い出すままに並べてみたが、それぞれの脈絡があるようでいてなく、非常に分かりづらい。もしかしたらスッキリする解釈があるのかもしれないが、僕の頭では消化不良感だけが残った。終わり方がもう少し綺麗であれば映画全体への感想はかなり違っていたと思う。

そして最悪なのが、この消化不良感を引きずっている観客に対して、エンドロールで延々と楽屋落ち的なNGシーンみたいなものを見せたこと。この中で、お寺参り(?)をしている最中になぜかラック役の女優が号泣しているのだが、これは本編に組み込めばよい場面なのに、観客には意味がよく分からないままエンドロールに使うのはもったいない。浜辺でオザワに抱き着きながら「(タイ語で)お母さん!」と泣き叫ぶ場面よりも、お寺で泣いているラックの方が百倍魅力的だった。

などと昨日に続いて無い物ねだりのような感想を書き加えたのは、この映画はもっとよくなるはずなのにもったいないなあ、という気がしてならないからだ。富田克也監督と共同脚本の相澤虎之助氏に、タイ映画にもう一度チャレンジしてほしいと思う位、この国には被写体としての魅力があるのだ。 そして、アピチャッポン監督は『バンコクナイツ』を見てどう思うのだろうか。