INSTANT KARMA

We All Shine On

僕のギターが咽び泣く

2004年のロックンロール・ホール・オブ・フェイムでの、伝説的なジョージ・ハリスン追悼パフォーマンスについてのニューヨークタイムスの記事より。

ジョエル・ギャレン(ロックンロール・ホール・オブ・フェイムのプロデューサー兼ディレクター):プリンスの弁護士宛に私信を送ったんだ。すると1,2週間後に、彼の側近から電話があり、プリンスがロサンゼルスにいて、僕と会いたがっているという。

プリンスはこう言った。「君の手紙を読んだよ。いいアイディアだと思う。その曲を何回か聞いてからもう一度連絡する」

2,3週間後に、プリンスの側近からまた電話があって、「プリンスがもう一度会いたがっている」という。プリンスは絶対この曲をやると言った。

最初に会った時も2度目に会った時も、彼は音楽に関すること、誰が音楽を所有するのかということについて熱心に語っていた。そのパフォーマンスを所有するのは誰かを知りたがっていた。彼の知らない所でそのパフォーマンスが利用されないことを確認したがっていた。

ショーの前夜にリハーサルをやった。プリンスは少し早めにリハーサルをした。彼はあらゆる音響に関する問題に取り組んでいた。リハーサルの最中に、彼の望んだ音が出せなかったのでモニター・エンジニアをクビにしたのを覚えている。

それが終わると彼はホテルに帰った。僕は「今夜10時にまた戻って来てくれ。最終リハーサルをやるから」と言った。すると彼は「じゃあね」と言ったんだ(笑)。

来るとも何とも言わずに「じゃあね」って。

トム・ぺティーのリハーサルが夜遅く行われたとき、プリンスも来ていた。彼はギターを持ってステージの端に現れた。彼はトムとジェフ・リンとバンドの皆にあいさつした。

曲のミドル・ソロの部分にきたとき、そこでプリンスが弾くことになっていたのだが、ジェフ・リンのギタリストがソロを弾き始めた。クラプトンのように、一音一音きちんと弾いていた。プリンスは割り込まずに、彼の演奏に合わせてリズムを取って伴奏をつけていた。

最後の大きなソロにくると、プリンスがソロを取った。彼は何も言わず、軽く弾きはじめただけで、けっきょく何も印象的なフレーズは弾かなかった。

リハが終わると、僕はジェフとトムの所に行って話し合った。「プリンスともう一度リハーサルができるかどうか分からない。でも彼に曲の間中ソロを取らせるわけにもいかないだろう。」

それからプリンスの所に行って、彼を脇に呼んで、個人的な会話をした。彼はこんな調子だった。「彼(ジェフのギタリスト)にはやりたいようにやらせて、僕は最後にソロを取る。最後のソロのときは、間のソロのことは忘れてくれ」そして「心配することないよ」と言って去って行った。

それっきりリハーサルはなかった。

彼が本番で何をするのかプロデューサーの僕にもまったく分からなかった。

そこから先はごらんの通りだ。あれは僕が音楽に関わって以来最高に満足のいくパフォーマンスだった。 彼がどんなに驚異的なギタリストだったか、まだ十分に知られていないと思う。ロック・ギタリストとして彼は誰にも負けないものを持っている。

 

プリンス死去をうけてのトム・ぺティの談話:

不思議なことに数日前、プリンスのことが頭から離れずにずっと彼のことを考えていたんだ。バングルズのスザンナ・ホフスと話していてね。プリンスはバングルスの“Manic Monday”を作曲している。

スザンナ・ホフスはどのようにしてプリンスと出会い、楽曲を提供してくれたのか、そのいきさつを話してくれたんだよ。そして、その日はプリンスのことをずっと考えていて、電話をしようかと思っていた。今回のことがあってから、思い立ったことは常に行動に移したほうがいいと思うようになったよ。

このギター・ソロ・パフォーマンスの最後にプリンスが空中に放り投げたギターは、その後どうなったのか、誰も知らないそうだ。 きっと天国のジョージ・ハリソンが受け取ったのだろう。