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サイン・オブ・ザ・タイムス

ロックの名盤シリーズの一冊、『サイン・オブ・ザ・タイムズ』(ミケランジェロ・マトス著、石本哲子訳、水声社を読む。

ミネアポリスで生まれ育ち、プリンスが『サイン・オブ・ザ・タイムズ』を発表した年(1987年)には13歳だった著者による評論本。

このアルバムについては僕には僕なりの思い出や思い入れがあるので、そういったものと対比しながら面白く読んだ。しかし、アメリカの音楽評論家の書く文章はどうしてこう、もって回った皮肉たっぷりの分かりにくい表現だけで構成されないといけないのか。

著者の主観を除けば何ら目新しい発見はなく、この本に書いてあったことで知ってよかったと思った事実は、ディアンジェロと彼のバンド(ザ・ルーツ)が、『Voodoo』(2000年)のためのレコーディング・セッションのウォーム・アップにスライ&ザ・ファミリー・ストーンの『暴動』プリンスの『パレード』を通して演奏した、ということだけだった。

僕にとって、『サイン・オブ・ザ・タイムズ』といえば、あの同名タイトルの傑作ライブ映画を抜きにしては語れないのだが、この著者が過小評価している(「刺激的だがいくぶん欺瞞的で、興行収入はわずかで、周知も得られず、同名のアルバムに何ら恩恵を施さなかった」)のは大変残念である。もしかするとあの映画はアメリカでは認知されていないのだろうか(DVD化されたのも何十年もたってからだったし)。

ポップミュージックのアルバムというのは、いつどのような形でその作品と出会ったのかという記憶を抜きにしては魅力も価値も語れないと思っている。リアルタイムで体験したかどうかというのも大変重要な部分だ。

僕にとって、ジョン・レノンビートルズはリアルタイムの体験ではなかった。発売から何十年もたって、クラシック化された作品を鑑賞しての感動と、多感な中学高校生の頃に、小遣いを握りしめて発売日にレコード屋に走って手に入れた作品を聴くときのトキメキは比較することができない。これは、作品そのものの質とは関係がないが、ポップ・ミュージックのリスナーにとっては決定的な意味を持つ違いである。

『パープル・レイン』から『サイン・オブ・ザ・タイムス』に至るプリンスの音楽は、彼の長いキャリアを考えれば、その一部にすぎない。そしてそれは彼自身の音楽から見てむしろ例外に属する時期だったのではないかと思う。

彼の遺作となった3つの作品、『Art Official Age』、『HitnTn Phase One』、『HitnRun Phase Two』で聴ける音楽こそ、彼の最もありのままが表現されていたような気がする。