INSTANT KARMA

We All Shine On

2019.6.4

図書館で、デレク・ベイリーの伝記と、大友良英「学校では教えてくれない音楽」を借りる。

前者は、資本主義との関係で、引用に使える文章がたくさんありそうだ。

中原昌也さん誕生日おめでとうございます

 

なぜ安倍首相がここまで首相を続けられるのでしょうか?

加藤 和哉 (山梨県在住の哲学者)氏による回答

彼が自民党総裁として、選出され続け(そのために、任期の限度を定める党則まで変更して)、衆議院選挙で、首相を支持する自民党公明党に多数が与えられているからです。

なぜ、そんなことが続くかなのですが、彼のような「舌のよく回る職人」(ローマの哲人政治キケロが、真実を重んじることなく、巧言令色で大衆を惑わせる偽りの弁論家に名付けた名称)が、まずは、社会の既得権益を持つ人たちにとって有用だからでしょう。なぜなら、現代は不都合な真実に満ち溢れているからです。日本経済が高度成長期のような発展をすることは二度とないこと、発展期にある世界の各国の間で日本は「緩慢な衰退」を運命付けられていること、何十年と続いた少子化の影響は、どんな対策を取ってもその同じ長さでこれからの社会に影響を与え続けること、経済優先の社会の価値観で大きく損なわれた道徳、家庭や個人の生き方を見直し、新たなものを見出すのにも何世代もかかること、福島の原発事故によって生じた大量の放射性物質の回収やその最終的保管にはほとんど無限の時間が必要なことなど、今生きている世代にとっては、生きている間に解決不可能に思える不都合な真実が数多くあります。

そして、安倍政権の最大の強みは、国民がこれらの不都合な真実から目をそらし、偽りの希望や安心を持つようにすることに長けているということです。安倍-菅コンビは、これまでのどの政権よりも、どんなに不都合なことも「それは当たらない」「問題ない」と断言し、すべては「アンダーコントロール」で大丈夫だと言うことに力を尽くしているのではないでしょうか。そして、それは結局、国民もまた、不都合な真実から目を背けて、日本は「美しい国」であり、誰もが幸せになれる素晴らしい国であるという美しい嘘を信じたいからであり、それを信じさせてくれるのが、この政権だからなのだと思います。

かつての日本社会は、格差の比較的少ない「総中流社会」と言われましたが、経済が失速し、分け与えるパイが小さくなったため、少数の既得権益を持つ人々が権益を失わないために生み出したのが、「自己責任」を強調し、結果の不平等は、各自の責任であると受け入れさせるロジックです。それまで「みんなが幸福になれる」と信じてきた国民は、「みんなが幸福になれなくても仕方がない」というこの裏切りにショックを受け、いったんは自民党政権に不信任を突きつけ、民主党政権を誕生させました。しかし、その時に多くの国民が民主党政権に期待したのは、不都合な真実に向き合う新たな選択肢ではなく、今まで通り「みんなが幸福になれる」という夢を見させ続けてくてることでした。もちろん、そんなことはできるはずもありません。失望した国民は、再びかつて夢を見させてくれた自民党に政権を託したのです。

「日本を取り戻す」という復古的なスローガンと「戦後政治の総決算」という矛盾するイメージを掲げることで、安倍政権は、既得権益を持つ夢よもう一度と思う人々と、今の生活に不満を持つ人々という本来利害の対立する両方から支持を獲得することに成功したのです。なかでも、戦後誰も具体的に手をつけることのなかった「憲法改正」を掲げたことによって、何かを変えてくれるかもしれないという期待を抱かせることに成功したのです。そして、このように簡単に実現するはずもない目標を掲げ続けることで、国民の間に期待感を抱かせつづけるというのが、この政権の常套手段になっていることは、拉致問題北方領土問題を見ても明らかです。つまり、現実に分け与えるものがないので、希望だけは広く分け与えるのです。たとえそれが空手形であったとしても。

複雑な現代社会では、一人のどれほど卓越した政治家であろうと、その力で政治がガラッと変わるということはありません。経済の根本的構造も、社会福祉や教育の仕組みも、そう簡単に変わらないし、変えて良いものでもありません。たとえば、いま被扶養者の妻に与えられている3号被保険者という資格をやめようという議論がなされています。しかし、それがもし、その制度を前提に生活してきた人々に、人生の半ばで急に適用されることになるなら、それは実に残酷なことになります。だから、政権が変わっても、具体的な政策レベルでは、大部分は前の政権の政策を続けるしかないのです。民主党政権の誕生も、そしてまたこれに対する失望も、国民があまりにナイーブに、政権が変われば全てが変わるかのように信じたからかもしれません(そして、民主党自身もあまりに安易にそのようなイメージを振りまき、利用したのです)。同様に、安倍政権だって、やっていることの多くは、誰が首相になってもやるべきことだし、できることなのです。にも関わらず、安倍政権は、先ほども述べたように憲法改正など安倍政権でなければできない(やろうとしない)と思われる目標を掲げることで、他の政策についても安倍政権にしかできないと考えさせるのに成功しているのです。

では、このままこのような政権が続くとどうなるか。おそらく、日本社会は、偽りの希望を追い続けるけることで、不都合な真実と向き合い、そこからやり直す最後のチャンスを永久に失ってしまうかもしれません。治療すれば治る可能性のある病気を告知されなかったために、治療の機会を失ってしまう病人のように。