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東京のプリンスたち

深沢七郎楢山節考』、『月のアペニン山』、『東京のプリンスたち』、『白鳥の死』、『深沢七郎集第8巻』、『深沢七郎ラプソディ』(福岡哲司著)、『深沢七郎、「楢山」と日劇ミュージックホール』(大谷能生)、『なんとなく(深沢七郎に関するエッセイ)』(中原昌也を読む。

エルヴィスがききたくなって、昔買ったCDを引っ張り出し、図書館で初期の作品を借りて聴く。

「夜おそい」とか「遊び歩いてばかりいる」とか親は言うが、自分の行動は自分のしたいようにさせてくれなければ苦痛だ。学校へ行っているのだから夜遊ばなければ遊ぶ時はないのだ。学校は仕事で、毎日毎日仕事があるのだから毎日毎日遊ぶ時間も欲しいのだ。自分のしたいことはエルヴィスの唄をきくことで、「遊んでいる」と言うけど、それがなければ頭も身体もとんがってしまうのだ。暴力など振う奴はミュージックのない奴にちがいない。

公次はエルヴィスの「頭の堅い女」をかけて寝ころんでそんなことを考えていた。

(『東京のプリンスたち』より)

深沢七郎はギタリストで日劇ミュージックホールに出演してストリップショーの伴奏などやりながら、「都会人がハイキングに行きたがる、あの山の中の気分を味わうのと同じで」山の中の小説(「楢山節考」)を書いたのだという。

1956年、42歳で『楢山節考』によって第一回中央公論新人賞を受賞したことから、作家としての深沢の人生は始まった。

選考委員は、伊藤整武田泰淳三島由紀夫の三人で、三人一致してこの作品を推した。

この作品が当時の文学者に与えた衝撃は、70年以上経った今でも想像に難くない。

曰く、「民話のすごみというものをワクに、何かわからない無抵抗のような美しさがある」(武田)、「これが本当の日本人だったという感じがする、ストイックというか、個人よりも家族を大事にするというか、それよりも家族よりも伝統の規律に自分を合致させることによって生存の意義を味わう人間がいるというか、そういうことを改めて考えさせられる」(伊藤)、「父祖伝来貧しい日本人の持っている非常に暗い、いやな記憶のようなものがあり、全身に水を浴びたようにこわい。何か不定形で、どろどろしたものがあって、とても脅かすんだ」(三島)。

近代文学の中での、人間の考え方ばかりが、必ずしもほんとうの人間の考え方とは限らないということです。僕ら日本人が何千年もの間続けてきた生き方がこの中にはある。ぼくらの血がこれを読んで騒ぐのは当然だという気がしますね」(伊藤整

「人間の美しさというものが、今非常にあいまいになってきている、そういうことを肯定的に書くことがほとんど不可能になってきている。この作品では早く楢山に登りたいということを素直に主張する人物を出すことによって、それに成功している」(武田泰淳

「ことしの多数の作品のうちで、最も私の心を捉えたものは、新作家である深沢七郎の『楢山節考』である。…私は、この作者は、この一作だけで足れりとしていいとさえ思っている。私はこの小説を面白ずくや娯楽として読んだのじゃない。人生永遠の書の一つとして心読したつもりである」(正宗白鳥

楢山節考』はベストセラーになり、何度も映画化され、彼の生涯の代表作であることは疑いないが、必ずしも深沢七郎にとっては本意ではない受け取られ方をし、いわば生涯の「誤解のもと」となった作品でもあった。

その「誤解」が頂点に達するのがのちの「風流夢譚」にまつわる事件であるが、ひとまず彼の作家としての本領が最も発揮された作品の一つは、1959年の『東京のプリンスたち』ではないだろうか。

大谷能生曰く、「深沢七郎が書いた『東京のプリンスたち』という小説は、ロカビリーとその音楽を愛した少年・青年を主人公として描いた、日本語で書かれた音楽を取り扱う小説のなかでもっとも美しい作品のひとつである。音楽と生活とが密接に結びついている人間たちの生を、彼らの生活のリズムを正確に辿りながら描くことに成功している、という点において、この作品は『楢山節考』と非常によく似た性格を持っている。」

階段の下からラジオが聞こえてきた。(聞いたことがある曲だ)と思ったらすぐ唄になった。ぼーっとしている頭にも(エルヴィスの声だ)とすぐに判った。「マネー・ハネー」だった。正夫は引き戻された様に我に返った。気がついたら立っている足が小さくゆすれていた。ハッと、正夫は足に力を入れてリズムに合わせてゆすりだした。歯切れのいいリズムで両足が切れてしまうように激しくゆすった。

(ちぇッ、いいなァ)

と舌打ちした。正夫は右手を大きく振って指を鳴らしながらエルヴィスの声と一緒に歌い出した。重苦しかった下半身が爽快になってしまったことなど知らなかった。テンコが目の前にいるけど、そこに掛けてあるカーテンや襖の模様の絵と同じようにしか思えなかった。

上の引用部分は、「押しつけられたように下半身が重苦しくてたまらなかった」田中が、早くこの苦しさを捨ててしまうために、テンコを誘って温泉マーク(今のラブホテル)に入ったところ、エルヴィスがかかっているのをきいた場面だ。

それから、下に引用するのは、この小説の最後の場面だが、以前、この部分だけが引用されているのを何かの評論で読んだことがあって、強烈に印象に残っていた。いったい何の評論だったのだろう?

「アイ・ニード・ユア・ラブ・トゥナイト」が激しく鳴った。“今夜はお前のラブが必要だ”とエルヴィスは騒ぐように歌っているが、題名だけが判れば、歌詞など判らなくてもいいのだ。破裂しそうなリズムに合わせて、思いきりの声をだしてエルヴィスが歌っているのを聞いていると、頭の中がカラッポになってすっきりするのだ。そして、手や足がこきざみにゆれて、押さえつけられた様な手や足の力がぬけて軽くなるのだ。

洋介はひょっと気がついて立ち上がった。うっかりレコードの横に腰かけていたのだった。疲れているから腰をかけてしまえば眠ってしまうのである。あしたは運送屋も休みだし、今夜はこの新曲を思う存分聞くのだから眠ってしまってはダメだと思った。「アイ・ニード・ユア・ラブ・トゥナイト」が激しく鳴った。(腰をかけてしまってはダメだ)と洋介はテーブルの方に寄って行った。片足をテーブルにあげたがすぐ瞼が重くなってきた。また、レコードの方へ行って壁に寄りかかった。ぐらっと倒れそうになって、ハッと気がついた。(ねむってはダメだ)と、肘でぐンと壁を突いた。