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転向研究

鶴見俊輔全集の『転向研究』に収録されている「転向論の展望ー吉本隆明花田清輝−』を読んでみた。非常にバランスの取れたすぐれた総括であると思った。 特に次の洞察は鋭い。

吉本隆明は、体質的には闘士型、性格的には偏執狂型であるというだけでなく、日本の文化の連続性が敗戦によってきれたその断面に自分の少年時代を見出したというさらに重大な理由によって、日本人の多くの持つ易変的・他者志向的性格から自由になった。…吉本には偏執狂的性格に特有の視野のせまさがあるが、このようなせまい視野をたもつことをとおしてくっきりと映し出される日本の側面がある。」

そして、

「(吉本のいう)転向思想とは、日本の現実社会の問題をしっかりうけとめることのできない思想一般をさすこととなり、日本の現実社会において有効なる保守をなしうる思想と有効なる変革をなしうる思想の双方を除く一切の思想である」

という指摘も正しい。これはある意味吉本の思想の核心であり、自分が最も影響を受けたのも吉本のこの考え方である。 花田清輝については、「偽装転向」であり、吉本のいう転向論によってはうまく分析できないと述べる。 花田自身は、自身を含めた戦時下および敗戦後の再度の日本人の転向についてこう述べている。

「『戦犯』と指定されたというので狼狽したり、ふたたびそれを取消されたというので威丈高になったりする文学者があるが、なんという浅薄な心の持ち主であろう。いやしくも文学者である以上、おのれの罪と罰との微妙な関係にするどい視線をそそぎ、仮借することなく自己批判を試みるのが、当然ではなかろうか。仮に積極的に戦争を支持していなかったにせよ、あるいはまた、ひそかに戦争に対して消極的抵抗を続けていたにせよ、とにかく、ほんとどわれわれ大部分のものの位置は、すべて、白と黒との間にある、灰いろの無限の系列のどこかにみいだされる。…かれらには罪はあるが、かくべつ、罰せられはしない。しかし、罰せられないということが、かれらの罰なのだ。」

この花田の告白(?)に対する鶴見の評価もまた適切である。

「社会によってもみずからによっても罰せられずにすむという状態は、日本の共産主義者自由主義者からその思想的自主性を奪ってしまうことになり、かれらの思想が戦後日本の社会においてききめのないものになることを意味する。」

花田は、戦中は東方会というファシスト団体に所属し、戦後は日本共産党で文化面の指導的地位に就いた。このような外面的行動からは、吉本が全身の力を込めて花田に「転向ファシストの詭弁」と叩きつけた言葉の方に正当性を感じざるを得ない。

この論争は、理論的正当性以前のレベルで既に決着が着いていたのだ。ただ当時の共産党が持っていた絶対的に近い権威に真っ向から立ち向かって、当然の決着をつけるだけの腕力と胆力を持っていたのが吉本だったということだ。