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ロックの日

僕は10代の頃に『ロッキン・オン』を読んでビートルズエレファントカシマシやプリンスを聴いていたので、渋谷陽一『ロック進化論』『音楽が終わった後に』といった評論集に多大な影響を受けた。

40代になってから菊地成孔に憧れるようになったが、所詮先天的後天的に身に着いた体質や考え方は変えられない。

渋谷陽一は、それまでミーハーなカルチャーとしてしか語られていなかったビートルズレッド・ツェッペリンのようなロックを文学評論のスタイルで語ろうとした最初の世代で、ジャズを文学的に語ろうとした全共闘世代の評論家たちの後発世代であった。

初期の『ロッキン・オン』はやたらと肩に力の入った既存の日本のロック・ジャーナリズムへの批判に凝り固まっていたが、僕が読み始めた80年代のロッキン・オンはいい具合に肩の力が抜け始め、より商業主義に傾いた増井修をはじめとする第二世代が紙面づくりを仕切り始めた頃だった。

僕が勝手に「渋谷陽一テーゼ」と呼んでいる或る命題がある。それは、「本当に優れた表現は必ず商業的にも勝利する」というものである。彼は、売れ筋の大衆路線音楽を「産業ロック」と呼んで罵倒する一方で、「売れないのは客がバカだから」という、ミニコミ誌やインディーズにありがちな言い訳を徹底して批判した。

渋谷には、本当に優れた表現は、純粋な「初期衝動」(これは渋谷陽一が発明した言葉の一つだ)を失うことなしに、受け手との妥協などという発想とも無縁に、必ず商業的にも成功するのだ、という信念があった。

事実、80年代に成功したRCサクセションや山下達郎などのミュージシャン(彼らは渋谷陽一と同世代のいわば共闘関係にある人たちといえる)の存在は、「渋谷陽一テーゼ」の実証例ともいえるかもしれない。

今思い返せば、僕がもっとも渋谷陽一から影響されたのは、「絶対的な価値」としての音楽への信仰とでもいえるものであった。彼がメディア編集者という職業を生業にしたのは、人はメディアを通して初めて「普遍的なコミュニケーション」が可能になるのだ、という信念に基づいている。

彼の有名な発言に「ある人と友人として10年付き合うよりも、彼が全力で作った30分のレコードを聴く方が、その人の本質を理解できる」というのがある。

また彼はこう語る。

我々がコミュニケートしなければならないのは、きっとどこかに居るだろう自分のことを分かってくれる素敵な貴方ではなく、目の前に居るひとつも話の通じない最悪のその人なのである。そうした人とのコミュニケーション法の模索がメディアをより強力なものとしていくのである。

渋谷は、「人と人とはメディアを通じたコミュニケーションによって必ず共通の理解を持つことができる」という強い確信と、その可能性を阻む現実との間のギャップを己の批評活動のモチベーションとしてきた。

そして、渋谷にとって、「音楽」こそが、この「普遍的なコミュニケーション」を可能にする唯一の方法なのであり、そこに彼が、映画や漫画や文学ではなく、音楽評論を自らの活動の主軸に置いた理由がある。それは音楽というものに対する一種の信仰ともいえる。

レッド・ツェッペリンの『天国への階段』という曲について渋谷はこう述べる。

すべての価値と論理が相対的である時、音楽こそが絶対的な価値となりうるのではないか。音楽こそが天国へのきざはしであるのではないか。それがこの曲のテーマであり、ロック全体のテーマである。この歌は一種の決意表明であり、出発宣言になっている。この歌詞以降のツェッペリンの音楽的実践は、この歌のメッセージを現実のものとするための試行錯誤ともいえる。

彼のスタンスを最も明示的に表現しているのは、単行本『音楽が終わった後に』のまえがきに掲載されている次の文章だろう。

結局、言いたい事は原稿用紙の二、三行で十分なのだ。ところが、それは二、三行では普遍化されない。その言葉が二、三行である間は、それは自閉症の繰り言でしかない。それを普遍化する為、多くの言葉を積み重ね、手続きを踏んでいく。それが批評の本質なのだという言い方も可能だが、だからといって面倒なものは変わらない。

きっとミュージシャンもそうなのだろう。頭にあるのはきっとひとつの音なのである。鳴らしたいのはその一音なのだ。ところがその一音は、現実場面では一音として鳴らないのである。ミュージシャンはその音の回りをなぞり、いろいろな表現手法を用いて、その音を散文的に表現したりする。当然、それはそれでもどかしいものだ。

アバンギャルドと呼ばれる手法は一種のバイパス作りで、回り道を避け、一気に表現のコア、つまりその一音、あるいはそのひとつの言葉へ向かおうとする試行錯誤といえる。多くの場合、実験は実験でしかなく、意欲のみで終わったりするが、そこからしか新しい方法論は生まれてこない。

僕の場合も、原稿に向かう時、頭にあるのは最終的な一言の結論だけである。後は手続きなのだ。この手続きを楽しみことができる人間が原稿を書くことを楽しむことができるのだ。僕のようにただ面倒なだけなんてライターはひたすら原稿を書くことを嫌う。この単行本に収められている文章も、その手続きの集積と、ごくわずかな数行の結論によって構成されている。その数行が貴方に届くことを願う。

つまり渋谷にとっての「普遍的なコミュニケーション」とは、絶対的な「ひとつの言葉(一つの音)」を万人が共有することに他ならないのである。これはある意味で、60年代のロックが目指した理想主義(共同幻想)の変種、というかほとんどそのままの発想である。

 

ところが、クレイジーキャッツ山下洋輔筒井康隆によって思春期の精神形成を行い、80年代の構造主義(彼の作品のタイトルは『構造と力』や『闘争のエチカ』といった80年代思想へのオマージュに満ちている)を一つの方法論的支柱とする菊地成孔には、このような発想はない。

菊地は「鳴らしたいひとつの音」のために音楽をやっているのだ、とは決して言わないだろうし、「ごくわずかな数行の結論を言うためだけに手続きのような文章を書いているのだ」とも言わないに違いない。むしろそのような言い方こそ菊地の(強い表現を使えば)嫌悪するところであろう。

菊地成孔演奏家であり、音楽批評のスタイルとして、楽曲構造の理論的な分析(アナリーゼ)という手法の有効性を主張する。

僕は、フジロックが産業的にどうこうとか、そういったことには全然興味なくて、音構造にしか興味がないです。音構造が変わればドラッグカルチャーやエコロジーみたいなものもすべて突破できると思っています。ここでいう「突破」というのはつまり、他の読解要素と比べ、余りに音構造に関する読解がおざなりにされているので、もう聴き終わり、咀嚼を終了したと思っている音楽が、まったく新鮮に聞こえ、それまでの読解軸限界による咀嚼をアップセットし、リフレッシュできる、といった意味ですが。

(「思想地図β」における座談会より)

21世紀初頭に菊地成孔大谷能生とのコンビで行ってきたポップ・アナリーゼ(楽曲構造分析)の啓蒙活動は、80年代、90年代に隆盛を誇ってきた所謂「ロキノンジャパン的」な音楽の聴き方に対する強力なアンチテーゼであった。彼らの幅広い知識と豊かな感性に裏打ちされたその批評活動の影響は、その難解さ?ゆえに、当初は限定的なものに留まったにせよ、その後20年近くにわたり確実に若い世代にボディーブローのように浸透している。

菊地成孔もまた「音楽」の信仰者であると自認している。渋谷陽一との違いは、渋谷が「普遍的コミュニケーション」の唯一の手段として音楽の力を信じているのに対し、菊地は、渋谷のような文学的な思考を介在させず、より直接的に「音(とリズム)の力によるダイレクトな救済」を希求している、という点にある。それはやはり音楽家表現者)と批評家(編集者)という本質的立場の違いから来るものであろうか。

音楽批評という表現活動において、いわば対極の立場にあるといえる渋谷陽一菊地成孔は、僕にとってどちらも畏敬の対象であり、生涯にわたり決して軽んずること能わざる存在である。

なぜこんなことを急に書く気になったかというと、今日が渋谷陽一の誕生日(1951年6月9日生まれ)で5日後が菊地成孔の誕生日(1963年6月14日生まれ)なんだからですね。

HAPPY BIRTHDAY ,LEGENDS!