INSTANT KARMA

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自分の頭を整理するために書いてみる。

オザケンことミュージシャンの小沢健二が、2020年7月26日午後1:35付でこんなツイートをして、プチ炎上みたいになっている。

https://twitter.com/iamOzawaKenji/status/1287245014473379841?s=20

まずオザケンは、今アメリカの黒人差別反対運動(この呼び方自体もOKなんだろうか?)のスローガンに用いられている「Black Lives Matter(BLM)」という言葉について、「わざと怒らせる手法」であると指摘する(それを英語では「トローリング」と言う、とオザケンは僕のような無知な人々に教えてくれている)。

「Black Lives Matter」を直訳したら、「黒人の生命は大事だ」となる。でもそう聞いたら「誰の生命だって大事だろ!」とツッコミが入る。だが、このツッコミを引き出すことが、この言葉の重要な機能なのだ、とオザケンは指摘する。そして、BLMのように、わざと人々を怒らせたりツッコまれるような挑発的なスローガンを使うことは、言論の武器として有効であると主張する。いわゆる、「炎上商法」というやつだ。

関係ないが、僕の好きな(?)ユーチューバーに「遠藤チャンネル」というのがあって、世の中で話題になったあらゆるニュースにひたすら逆貼りし続ける、というシンプルな手法で人気を博したのだが、なぜかユーチューブ側から収益化停止の措置を食らってしまい、今はただの薬物依存患者のリハビリのような日常系動画になった。

さて、オザケンは、もう一つ、「黒人の命は大事だ」という言葉には前提があって、アメリカには長年「黒人の命は大事じゃない」という酷い下火があった(今もある)ことだと指摘する。

以上がオザケンのツイートの論旨である。

このオザケンのツイートに対して、いわゆる信者のような方々の「勉強になりました!」「さすがオザケン!」という反応が次々と寄せられる中に、オザケンの言葉に強烈な違和感を持つ反応が続々とツイートされている(←いまここ)。

その反応は様々で、「オザケンはBLMというスローガンの発生した背景や意味をそもそも理解していない」という根本的な指摘から、「上級国民的な物言いがムカつく」という感情的な反感まで多種にわたるが、乱暴にまとめれば「オザケンの言葉が当事者性を欠いていることへの反感」というワードに集約されるのではないか。

何より、オザケンの今回のツイートが「トローリング」になったのは、次の一節が含まれていたからだろう。

(以下引用)

確かに、トローリングは下品。かまってちゃんの人、炎上狙いの人、ゲーっとなる。でも上品なことだけ言ってたって「ああそうですね」で終わり、でもある。それに、言葉や言い方って、変わっていく。

(引用おわり)

オザケンの今回の文章の中に上の一節がなければ、彼の主張に対する反応の激しさの度合いは変わっていたのではないかと思う。

もっとも、語るに落ちるというやつで、上の一節によりオザケンは、BLMをスローガンとして掲げる人々への一種の軽い軽蔑(上から目線)を露呈してしまっている。

そこには当然被抑圧者としての当事者性などまるでないし、逆に抑圧者としての(無意識的な)当事者性が表れているともいえる。なぜなら、人種差別という問題(究極的にはあらゆる問題=マター)に関しては、中立的な立場など存在しないからである。

ここで僕自身の立場についていえば、「BLMを炎上商法と同じレベルで捉えるオザケンの感性そのものが終わってる」という批判が正当なものだとしても、僕自身はその批判に唱和する資格がないと感じる。

こう書くと「じゃあお前は抑圧者側の人間なのだな」と糾弾されるのかもしれないが、今僕の生きている社会の中ではそうなのかもしれないし、もしアメリカで暮らすことになったら違うのかもしれない、としか言えない。

オザケンのツイートをきっかけにしてこういう問題を深く考える良いきっかけになった」というのが一種の模範解答なのかもしれないが、所詮ネット情報で構成された「問と解」を頭の中でいくら構築したところで、現実の問題に直面した時に何をするのか(「安倍政権の退陣を要求します」みたいなツイートに唱和することは何かしたことにはならない)を問われるしかないのだと思う。

ちょっと話題を変えると、やはりミュージシャンの野田洋次郎(RADWINPS)が、「大谷翔平選手や藤井聡太棋士芦田愛菜さんみたいなお化け遺伝子を持つ人たちの配偶者はもう国家プロジェクトとして国が専門家を集めて選定するべきなんじゃないかと思ってる」とツイートしたことについて、とんでもない優生思想の持ち主であるとして集中砲火を浴びた(?)のも記憶に新しいが、僕自身は、野田洋次郎のこの発言が血眼になって批判するだけの価値があるとも思えない。

野田洋次郎を糾弾して事足れりとする人は「安倍政権の退陣を求めます」とハッシュタグつきのツイートをして自己満足してる人でしかなく、僕はそういう人を現実世界で信用しない。

オザケンの今回のツイートにしてもそうだが、SNSという人類洗脳ツールによって人々の心理的沸点がますます低下し、いわばメンタル的バーチャル共喰いのような地獄絵図がいよいよ誰の目にも明らかな度合いで普遍化しつつあるという事態を示す事例であるとしか捉えられないのが正直な所だ。

この事態については、菊地成孔がその著書『時事ネタ嫌い』文庫化の時点で予言的な明確さをもって指摘している(ちなみに彼は2020年のオリンピックが国家的災厄に転化する運命でしかないことも正確に予知していた)。

そうして世界は回り続ける。地球の表面で何が起ころうと、世界を回し続けるのは結局のところ愛の力でしかない。