INSTANT KARMA

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ことりたちのさえずり

町山VS菊地のツイッター論争(?)が激化している、というより論争に持ち込みたい菊地に対し、菊地に「トランプ支持者(≒陰謀論者)」「レイシスト」のレッテルを貼って被害者を装って逃亡(だが自分の信者へはツイッターを通して自己正当化アピール)している町山という醜いことになっている。

菊地が公開討論の要請を取り下げてから「後出しジャンケン」で「敵」の過去発言の一部を貼り付けて「レイシスト」のレッテル貼りを行うとは卑怯なこと極まりなく、これはとても穏やかに収まる話しではなくなった。

とはいえ、菊地の側にも、町山という人のパーソナリティ(性格、知能及び精神的傾向)を見誤ったのではないかと思われる節もある。そしてこの問題の底には、かつての「オザケンBLMツイッター騒ぎ」にも通じるものがあるような気もする。

ハッキリ言って一般社会にとってはどうでもいい話で公益性があるとも思えないが、菊地成孔の有料ブログの読者としては、このまま菊地が黙って引き下がるとは思えず、次の展開を震えながら待つしかない。

 

追記

2月2日の深夜(菊地が大谷能生と出演したDommuneアルバート・アイラー特集の直前)、成孔氏がツイッターを連投し、それがある意味「レイシスト」以上に「センシティブな」テーマに触れるものであったため、案の定大炎上(?)している。

今回の発言は、菊地ファンにすら動揺を与えている模様だが、本当に過去からのファンであればさほど驚くべきこととも思えず(彼のポリシーに何ら反する発言とは思えず)、予想とは違う形で盛り上がったのを楽し気に眺めていることしかできない。

 

追記の追記

たぶん1カ月もすれば忘れ去られるのだと思いたいが、上記の菊地成孔のツイートが波紋を呼び続けているので、備忘録として現時点(2月4日正午すぎ)の感想を書きつけておく。

町山は菊地が「在日朝鮮人」や「ADHD」の属性をあげつらって町山を批判しているのが「フェア」ではないと「ツイート」することで「小鳥たち」の圧倒的支持を受けているように見えるが、そもそも「トランプ支持者」とか「レイシスト」といった「レッテル貼り」に基づいて菊地を批判したのは町山である。

ツイッター上ではそうした「単純なレッテル貼り」に基づく幼稚な議論しかできないので、直接しっかりと対話しよう、との菊地の呼びかけを無視して、自分たちのフォロワーに対して「菊地はレイシストだ」というさらなるレッテル貼りで応えたのが町山の不誠実な態度だ。

しかも町山が「レイシスト」のレッテル貼りを行ったのは、菊地が公開討論の呼びかけを取り下げると宣言した後であり、きちんと対話する心配(?)がなくなったことを確認してから、菊地が自身の有料サイト「ビュロー菊地チャンネル」のブログのコメント欄(これは無料でも見れる)の当該発言部分のみをスクリーンショットしたものを貼り付けてツイートしたのである。

こうした町山の行いが「フェア」ではないことは明らかであり、菊地による最後の一連のツイートは、こうした町山の薄汚いやり方を受けて書かれたものだ(表向きには町山がADHDをカムアウトしているのを知って衝撃を受けたからと書かれているが)。

そもそも、菊地による最後の一連のツイートは、「小鳥たち」が乱暴に要約するような「お前(町山)はADHDだから対話にならない」という内容ではない。そういう「乱暴な要約」こそがツイッターSNS)の特性であり、単純に要約できない内容であるからこそ長文のツイートにしかできないのだということが「小鳥たち」にはまったく分かっていない。

だが、こういう議論をツイッター上で続けることが不毛でしかないことは明らかであり、結局のところ、SNS規制論者の菊地成孔自身がSNSというドラッグの危険性を身をもって示す形となったという話だと理解している。

リアルでの失言ということで言えば、失言が服を着て歩いているようなモリモト爺さんの「女が会議に出たら長くて困る」というIOCを激怒させているのに比べれば1億倍可愛いもんだと思うが…