INSTANT KARMA

We All Shine On

西村賢太備忘録(3)

<秋恵以後>

「膣の復讐」(『歪んだ忌日』収録)週刊ポスト」2011年12月2日号

十月、秋恵に去られたことを思い出す。あの日以後暫く色欲は失せていたが、いよいよ寂しさの極みに立ったことを痛感した貫多は、秋恵の復讐にいつまでも屈しているこの状態も業腹で、いっそ今夜は久方ぶりの買淫をしにいく腹を固め、ラブホテルに向かい、デリヘルを呼ぶ。岬と名乗る自称19歳の少女と事に及ぶが程なくしてダメになり、ゴムを外して口でしてくれるよう懇願。ひどく虚しい放液を果たした後、貫多の心は死にかけのヒナ鳥みたく打ち震えるのであった。

 

「腐泥の果実」(『寒灯』収録)「新潮」2011年2月号

秋恵に出ていかれた後、何度無視されてもしつこく携帯に連絡を繰り返し、たまさか留守電が通じると、精一杯の謝罪と復縁哀願の言葉を繰り返す貫多。その結果、晩秋も冬にさしかかる頃の一夕、渋谷の街で秋恵と面会を果たす。八年前のその時の回想。

そんな蛆虫女を怒鳴ったり殴ったりすることもできず、彼は小一時間程で話を打ち切ると、この上はひたすら自身の矜持を守る為にのみ努めての穏やかな表情を作って、その女を見送ることにしたのである。そしてこのときが最後の別れとなったのである。

ふとした弾みに秋恵から誕生日のプレゼントにもらったペン皿を見つけ、その時の回想に耽るも、手近なゴミ集積所に完全なる諦めをもって、未練の残差ともどもそれを放り捨てた貫多であった。

 

「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」(『苦役列車』収録)『新潮』2010年11月号

41歳(平成21年2009年)、3月下旬、掃除機に腰をこごめた瞬間、ぎっくり腰に遭う。痛みに耐えつつ、布団にうつ伏せになってノートに小説の下書きを書く。第35回川端康成文学賞の候補になったと知らされた『新潮』の編集者田端への不義理を思い出す。孤独死への恐怖。秋恵への悔恨。1週間後、赤羽の総合病院で痛み止めを貰った帰途、ヨーカ堂の裏手辺の小さな古本屋に立ち寄る。以前野間文藝新人賞をもらった年にその本屋で野間清治の本を求めたことが在った為、ゲンを担ぎたくなったのだ。川端の『みづうみ』を見つけ、ついでに大正期の文芸評論家・堀木克三のレア本『暮れゆく公園』まで入手して意気揚々と店を出る。と、ふと冷静になり、文学賞の評価に振り回される我が身の愚かさを振り返ると共に、藤澤清造の没後弟子たる自覚に目覚め、久方ぶりに全能感が蘇る。帰りのバスを待つ間、堀木克三の人生に感傷的な思いを巡らす。惨めな晩年の堀木の姿に自らの未来の姿を重ね合わせ、やはり川端賞受賞の栄誉だけは何としても担いたいとの思いが頭をもたげる。結句受賞叶わず。

「――そりゃあ、そうさ。 何しろこちとらは、かの藤澤清造のお仕込みなんだからなあ。 そこいらの、何を背負って小説書いているのかサッパリわからねえ、 ただ編集者(リーマン)に好かれてよ、 売文遊泳してるだけの老人や小僧連中と一緒にされちゃ悲しいぜ」

 

「形影相弔」(『歪んだ忌日』収録)en-taxi」37号、2013年冬

2010年に43歳で芥川賞を受賞したが、原稿の依頼も思ったほど増えず、案外何も変わらなかったことに虚ろな想いを抱く。そんな折、古書市藤澤清造の未発表原稿三本が出品されているのを知り、何としても入手するため二千万円注ぎ込む決意をする。師への思いを失くさぬ限りまだ書ける、と確認する。

 

「感傷凌礫」(『歪んだ忌日』収録)「新潮」2013年1月号

出先から帰宅すると集合郵便受けに差出人無記名の封書が来ていた。中身は二三枚の便箋と一葉の写真。そのモノクロ写真には小学低学年の貫多が写っていた。手紙を読み、その発信者が、もう二十数年のあいだも没交渉となっている、自身の母親であると知る。そこには、貫多の芥川賞受賞を知り、本屋ですべて取り寄せてもらったこと、母親失格と小説を読んでは涙していること、蒲田のお墓は小説を読むずっと前に直したこと、邪魔になるといけないので、今後はもうお便りすることはないことなどが記されていた。読み終えて、かつての母親への暴力や数々の恥辱を思い出し嫌悪感と怒りを覚える貫多。もし母がこれを口火として金銭の無心をしてくるようなことがあれば、三百万までは融通してやろうというギリギリのラインを心中に定めるのであった。

 

「歪んだ忌日」(『歪んだ忌日』収録)「新潮」2013年5月号

46歳(2013年)、藤澤清造の祥月命日にやって来る俄かファンを苦々しく思う。

所詮、藤澤清造に対する思いのない者が、何か文学イベントへの参加的な気持ちで、気軽に足を運んでくるのが間違いなのだ。

 

「朧夜」(『無銭横町』収録)en-taxi」38号、2013年春

46歳(2013年3月)。秋恵が去って十年。

 

「酒と酒の合間に」(『無銭横町』収録)en-taxi」40号、2013年冬

2013年頃。浅草キッド玉袋筋太郎が上梓した本が文庫化され解説文を書くことについて書く。

 

夢魔去りぬ」(『痴者の食卓』収録)『新潮』2014年11月号

作家・北町貫多が 「新潮」編集者を通じてNHK「ようこそ先輩」への出演を打診される。撮影のため、小学校五年の二学期まで通っていた江戸川の小学校へ赴き、子供の頃に歩んだ辺りを訪れる。

 

芝公園六角堂跡」(『芝公園六角堂跡』収録)文學界』2015年7月号

47歳(2015年2月)。芝公園近くのホテルで行われた稲垣潤一のライブへ。夜寒の公園にひとり立ち尽くし、師・藤澤清造への想いを新たにする。

 

「終われなかった夜の彼方で」(『芝公園六角堂跡』収録)文學界』2016年新年号

47歳(2015年6月)。先の小説に阿る様な一文を加えたことを恥じる。

 

「深更の巡礼」(『芝公園六角堂跡』収録)小説現代』2016年2月号

48歳(2015年7月)。恥じる自分を恥じる。

 

「十二月に泣く」(『芝公園六角堂跡』収録)『すばる』2016年6月号

48歳(2015年12月)。清造の墓前で落涙。

 

「写真」(『文學界』2016年8月号)

小説現代」(作中では「小説現在」)の連載(作中では明示されていないが「誰もいない文学館」のこと)の第一回「根津権現裏」に添付する書影写真を編集部に送るために探す貫多。六畳部屋の清造資料用ガラス付キャビネットの中に目当てのプリントを見つけると、その奥に白い封筒があるのに気づく。久方ぶりでその中身を確認したくなり、六畳間からリビングに引き返して、封筒からプリントを取り出す。

十数年ぶりかで眺めるその写真。思わず、そのとき同棲していた女(秋恵とは明示されず)のことを回想する貫多であった。

 

「青痰麺」(『夜更けの川に落葉は流れて』収録)『群像』2017年8月号

味噌ラーメンが気に入ったラーメン屋に通っていた貫多は、ある日、カウンターの隅の席でラーメンを食べていると、来店したカップルのために席を移動してくれないかと三十代の鮟鱇のような顔をした店主に言われ、反射的に席を譲る。席を移動した後になって酷く不快に感じた貫多は、ラーメンの中に痰を吐き、煙草を放り込んで店を走り逃げる。その数年後、同居一年近くの秋恵を連れて再びその店を訪れた貫多は、食券機の前で店主から以前の行いを責める言葉を投げつけられ、秋恵を連れてすごすごと店を出る。さらに時が経ち、芥川賞作家となった貫多は、夜中に三たび衝動的に店を訪れる。店主が貫多に気づいていない様子なのに気を良くした貫多は、出てきたラーメンに煙草を捨て、痰を吐き、店主から見咎められるや店を飛び出そうとした矢先、「おい待て!お前、北町さんか?」と声をかけられた。咄嗟に「違う!」と言って逃げ去る貫多であった。

その貫多は大通りに向かって文字通りの遁走を続けながら、 (こりゃ、いけねぇ……バレてやがる) 胸中で呟き、そしてひどく不穏なものを感じていた。

 

「四冊目の根津権現裏」(『瓦礫の死角』収録)『群像』2019年2月号

50歳(2018年12月)。藤澤清造の代表作『根津権現裏』の稀覯本(清造自らが三上於菟吉に献呈した宛て書き入りの一冊)を、「歿後弟子」たる貫多が必死に手に入れようとする顛末。貫多の私小説に自分のプライバシーが書かれたと怒る古書店の新川に、貫多が言い返す。

「どうでぼくの書いたもんなんか誰も読んでやしねえよ。文芸誌なんて好んで読んでる馬鹿な奴らは、所詮馬鹿なだけに、何を言いたいのかまるで分からない作のみを有難がる習性があるんだから。単純に分かり易く書いてるぼくの小説なんか、ムヤミに軽ろんじるだけで絶対に読みやしねえから安心しろ」

 

「蝙蝠か燕か」(単行本未収録)文學界」2021年11月号

芥川賞を取った後、2020年7月まで、地方都市のマンションに住み、七年間付き合った女がいたという衝撃の事実が明かされる。ここ数年の自分を振り返り、藤澤清造全集刊行への決意を新たにする貫多であった――