INSTANT KARMA

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津島佑子『光の領分』

再び、保育園とライブラリーの間を往復する一週間がはじまった。その頃の私が、一番怖れていたものは、自分の寝坊だった。気がつくと、十時をとっくにまわっていたことが、何度となく、あった。上司からも、保育園からも、再三、忠告を受けていた。寝坊したくて寝坊しているわけではないのに、と自分を責める相手を恨みがましい眼つきで見つめているうちに、寝坊さえしなければ、すべて許されるのではないか、と思うようになった。…私が寝坊するから、藤野は私を許そうとしないし、保育園では娘に異常があると思われてしまうのだった。母親として、誰も信頼してくれないのだ。

『光の領分』とりあえず読了。短編をつなぎ合わせた長編小説という形式で、「水辺」の章は2001年のセンター試験に出題されたらしい。

シングルマザーの行動様式についてリアルに描かれていて唸った。文章が端正な語りなのであまり目につかないのだが、主人公はかなりファンキーな女性である。子どもを知り合いの家に泊まらせたり、知り合い(男)を家に読んで子供と遊ばせたり、寝坊が癖になったり、保育園の父母会の会長とセックスしたり(その後、その親子三人と道ですれ違って、「『へええんだ』と声に出して言ってやった。河内の妻が、私を振り向いた。その顔には、私への憎しみがはっきり浮かび上がっていた」)。

自分の知っていたシングルマザーの女性も、週末になると近所の子供たちを家に泊めたり、自分の子供を近所の家に泊めたりしていたが、この小説を読んでなるほどそういうことなのかと思った。その人はADHDの診断を受けていたが、寝坊の癖が止まないこの小説の主人公も今だったらADHDなどの診断を受けていたかもしれない。

この小説の主人公も娘の保育園での行動を問題にされ保育園に呼び出されて職員たちに囲まれ追及される場面が出て来る。また隣人や下の階の住民とのトラブルも絶えない(必ずしも主人公に責任がある訳ではないのだが)。

子供に対してムキになって感情を丸出しにして口喧嘩するかと思えば、驚くほどはっちゃけて馬鹿みたいな遊びに興じることもある。共依存のような関係性に思える。子供を夫に奪われる恐怖心と絶えず闘っている。同時に夫に強く求められたいという欲求を抱えている。

この小説が書かれたのは昭和54年(1979年)で、今から40年以上前なのに、ここに描かれた人間関係や社会関係の描写はまったく古びていない。今でも十分にリアルだ。それは、この小説が深く正確に現実社会を捕らえていたことを示しているのと同時に、この現実社会がこの40年間本質的なところでまったく変わっていないことを示している。