INSTANT KARMA

We All Shine On

小島信夫は?

小説とは読んでいて面白いかどうかがすべてで、面白い小説には引き込まれる文体がある。そこには読者に対するある種のサービス精神といったものが必要だ。しかし例外的に、そのようなサービス精神が一切なく、自分勝手に書いたままの文章が面白いという場合もある。小島信夫はそのような例外の一人なのではないか。もっとも、彼の文章を面白いと思わない人もいるわけだから絶対的な基準とはいえない。 小島信夫について、小谷野敦はこんな風に言っている。

日本で私小説というものへの反対論が根強いのは、実際にダメな私小説というのがあったからで、大正後期の『新潮』『中央公論』などに、温泉へ行って藝者をあげたとか、その手の安易な私小説がたくさん載っていたのである。 それと、戦後もずっと、作家がある程度の地位を得てしまうと、つまらない身辺雑記私小説でも文藝雑誌に載せてしまう、ということがあって、小島信夫などは、その最たるものだったろう。『別れる理由』なんてのも、別に前衛でもメタフィクションでも何でもなく、ただだらしなく書いていただけである。私は小島信夫も、『抱擁家族』以後はまるでダメな作家になったと思っているが、世間では小島の、すっとぼけたような姿勢に勘違いして畏敬の念を抱いていたのである。

一方、作家の保坂和志はこんな風に述べていて、評価が正反対なのが面白い。

小島作品はふつうにイメージされている小説と全然違う。事前のプランがあり、作者がそれをコントロールすることが小説を書くことだと信じられている日本文学の中で、作者のコントロールなどあざ笑うかのような、粘菌が広がるような小説を書いた。ふつうの小説は構成があり輪郭がはっきりしているから読後感が作りやすく、それゆえ批評しやすい。つまり読んだ作品をコンパクトに記憶して持ち歩くことができる。それに対して、小島作品は「読む」という時間の中にしか存在しない。そのあり方は、読書感想文などで訓練された読み方を根底から突き崩すものなのだが、読後に何かを語りたいなどという思いを捨てて、ただ「読む」ことに徹すればこれほど面白く自由な小説はない。 人の人生はしばしば一本の道に喩えられるけれど、小島さんは広大な平原だった。「道」というイメージしか持てない人は、小島さんという平原を前にして 「何もないじゃないか」と言うかもしれない。しかし「あなたの目の前に広がっているこの平原の全体が小島信夫なのだ」と私は答えたい。夏目漱石やドストエ フスキーやプルーストカフカは、その後に生きる者たちに小説という表現形式のイメージをもたらし、人々は明確に意識しないままそれらを小説の基準と考え、そこに書かれた言葉と思考法によって社会や世界を見るようになっている。「広大な平原」というのはそういう意味であって、小島作品もいずれはそうなる だけの活力を持っている。 小島作品を実際に読んだことのない人は、小島信夫私小説作家だと思い込んでいる。悪いことに(あるいは、「したたかなことに」か)、『抱擁家族』『うるわしき日々』などは私小説としても読めてしまう体裁をしている。しかしそういう人は初期の短篇の「小銃」や「馬」を読んでみてほしい。小島信夫はむしろ カフカの直系なのだ。『抱擁家族』以降の小島作品は、四十一歳で死んだカフカがその後生きていたらこういう小説を書いただろうような小説なのだ。深刻であ るはずの場面で突如笑いが噴出する。(後略)

僕は中原昌也の小説が好きだが、小谷野敦中原昌也の小説を評価していない(保坂和志は評価している)。だから小谷野の評価はケースバイケースで参考にしなければならないのだが、さて、小島信夫はどうだろうか。 まだ判断保留中。