War Is Over

 if you want it

ノブヲの別れる理由が気になった

坪内祐三『「別れる理由」が気になって』読了。

1968年から1981年まで実に12年に及び『群像』に連載された小島よしお信夫の長大な小説『別れる理由』の内容を紹介・解説してくれるという親切な本。

結論を言えば、この本を読めば、よほど興味がない限り『別れる理由』そのものを読まなくてもいい。実際、この小説は野間文芸賞日本芸術院賞を受賞しているにもかかわらず、選考委員の誰一人として通読していないし、この小説について詳細な評論を行っている江藤淳ですら大量過ぎて読み切れていないことを認めている。

これまでは絶版扱いで図書館で読むことも困難だったが、2019年に遂に文庫化され、電子書籍も出ているので、読むことは可能である。

この本を読めば、この小説の内容は、時制もめちゃくちゃで主人公が馬になったり作者に電話してきたり夢の中で乱交したり実在の作家たちと楽屋落ちめいた議論を延々と続けたり、何でもありのデタラメそのものであることがよく分かる。ところが著者の坪内祐三はこの小説を大変高く評価しているようだ(尤も評価してもいない小説についてこんな本は書かないだろうから当たり前だが)。

どうやら最終的には、作者本人と藤枝静男柄谷行人と大庭みな子がグダグダと議論を続けている文学賞パーティーの場に、小説「月山」の作者・森敦とその養女が現れるところで終わるらしい。小島信夫はこの森敦を文学的師匠のように慕っていて、二人で対談もよく行っているし、彼のところに月に二度も三度もアドバイスを受けに通っていたということだが、僕はこの森敦というのがどうもよく分からないというか、苦手な作家である。

彼の書いた小説を面白いと思わないし、その精緻で奇妙な独自の文学理論については、まったく意味不明である。しかし柄谷行人などはこれをたいへん高く評価している。

どうも小島はこの森敦の影響を受けておかしくなったのではないかという気がする。

抱擁家族は大傑作なのは疑いない。この小説のすごいところは、〈他者〉が文字通り〈他者〉として、つまり理解不能な存在としてきっちり描かれていることで、著者個人の想像力だけからは決して出てこないものがほとんど頁ごとに出てくる。

作品の中に理解不能な〈他者〉をいくつも登場させるスタイルは、彼がシェイクスピアのような英文学の専門家でもあったことが影響しているのではないか。

小島信夫のすごさは、こういう他の作家には書けないような〈おどろき〉をもたらす能力とそれを可能にした文体の創造にある。しかし、それを理屈や理論で定式化しようとしたり、哲学めいたもので正当化したり、ひとつの方法論のように語ろうとすると、たちまち陳腐で(悪い意味で)胡散臭い印象を与える。

『別れる理由』と執筆時期が重なっている『美濃』という長編小説も読んでみたが、ピンと来なかった。ここにも森敦の悪影響が感じられる気がした。