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続明暗

小島信夫漱石を読む』から水村美苗『続明暗』についてコメントしている部分を抜粋する。

『続明暗』という小説を、ある女の人が書き上げ、それが本にもまとまったので、読むつもりであるが、締め切りがきてしまったので、間に合わなかった。すくなからぬ人が、漱石は『明暗』のあとの部分をどんなふうに書いていくところであったかを空想してきた。大きく分けてそれは二色になるようであるが、あの作品を満足のいくものにするにはたいへんなことであると想像される。・・・

『明暗』の書かれてなかった部分のことを考えるのは、面白いことである。しかしじっさいに小説に書いて見せるということは、これまた別のことである。たしかに漱石はその『明暗』の中で相当の分を書いているので、それをもとにあとの部分を漱石の身になって書くことは、まんざら不可能のことではないように見える。といっても漱石は五十歳近い年齢であり、明治を生き大正五年に死んだ人であるのだから、現代の若い女性が続きを想像で書き上げるということは、出来そうにもないようにも見える。しかし、出来ないとはいえないし、現に書き上げてあるのだから、出来たのである。こういうことは実に興味深いことだ。私の記憶ではプルーストは若いときに文章、文体の勉強のためだったか、それとも別の意図によるものであったか忘れたが、あるスキャンダラスな事件が起きたとき、何人かの作家の文体で書いた。これは事件があって、問題は別だ。私がこの『続明暗』が雑誌『季刊思潮』に連載されはじめたとき、ちょっとのぞいてみたところでは、吉川夫人が盛んにしゃべっているところがあった。筆の運びもいかにも漱石ふうであったので、おかしくてしようがなかった。また先日この本をのぞいてみたとき、忘れかかっていた人物があらわれている模様なので、いよいよ興をそそられた。ことによったら新しい人物の名であったかもしれない。

さて、こんど『続明暗』という本が出たので、四、五日前か、あるいはもう少し前に読むことにした。この本のことを竜野に話すと、彼はテレビにこの女性作家があらわれて、インタビューを受けるのをみた、といった。それによると彼女はニューヨークかどこか、そういったアメリカに長らく住んでいて、家にあった改造社の文学全集ばかり読んでいたので、それらの小説を読んで、日本のことを知った、というより、それ以外の現実の日本というものを知らないのだ、といったそうだ(多少、私のききちがいがあるかもしれない)。それでもちろん漱石の作品などはよく読み、有島の『或る女』とか、谷崎の『痴人の愛』なんかも読んでいる。もっともっとたくさんのものを熟読した模様であるが、『続明暗』を執筆するにあたって、いまあげたようなものを参考にし、『明暗』の続きをどんなふうに書けばいいのか、考えたそうだ。結果においてメロドラマになってしまった、というふうにいっていたようである。

竜野は、彼女が『続明暗』を書き上げてショックを与えたことも面白いが、何よりも古い時代の日本の小説しか読めなかったので、その小説の世界が日本だと考え、そこで空想をはぐくんだ女性がこんどの本を書いたということが面白い、といった。そのことは、私もそうだと思う。私はこの『続明暗』の連載が開始したときから、興味を抱いていたが、後の楽しみに、読む機会を先に延ばしてきた。先だってあるパーティに必要上出席すると、顔見知りの女性雑誌の編集長が、「実に実に面白い」といった。私はいよいよ興味をいだくことになった。そのあと竜野に電話で話すと、さっきのようなテレビのことを話してくれた。

私は読後感を竜野に話した。竜野は読んだとも読んでいないともいわなかったが、テレビのインタビューでは、だいたい、どんなふうに運ばれているかは分かったようにも見えた。

・・・

小説は、下女が来て横浜から来ている例の女連れの客が、不動の滝へ一緒に行こうといっているといい、津田にも、同行をすすめるようになっている。彼はそこで彼女にいつまで逗留するか、というと、分からないが、夫の関から電報が来れば、今日にでも帰らなければならない、とこたえる。そこで彼は「そんなものが来るんですか」というと、彼女が、「そりゃ何とも言えないわ」といって微笑をもらしたので、その微笑の意味を一人で説明しようと試みながら部屋に帰った。読者にしてみると、その微笑の意味は、津田より以上に分かるとも思えないが、津田は夫の関と彼女とのことはどうなっているのであろうか、と、おそらくうまく行っていないのであろうと考えたであろうと想像はつく。しかし、それならば、どうしてそんな関という男を、自分を捨てて選んだのであろうか。まったく分からない! それとも、私のことにはかまわないで下さい、いつ電報が来るかもしれないが、だからといってそれは別にあなたにはどうでもいいことでしょう、という意味での微笑であろうか。

漱石の『明暗』はここで永久に終わっている。水村美苗の『続明暗』の清子は、問い詰めようとする津田になかなか答えようとしない。じっさいには彼は問い詰めるときがほとんどない。例の女連れの客がいつもそばにいるようになっているからである。そうして彼女が答えることは、こういうことである。

「いえとおっしゃったっていえないわ」ということである。どうしてそんなこときこうとなさるの、ということである。しかし彼は、いえないといったって、わけがなくて去っていくなんてことは、あなたみたいな、ちゃんとした女の人がするとは考えられないではないか、というような趣旨のことをいう。わけがないことはないけれどもいうことはできないわ、というふうに彼女はいう。こんなふうに進んで行く。

これは作者の水村さんがムリヤリに、あるいは意味ありげに引き延ばしているのではない。けっきょくのところ清子のいうことは、だいたいのところ、こんなふうのことである。

「ではいいましょう。あなたという方は、こんどはまた吉川夫人の世話で延子さんという人と結婚なさり、そうしてその夫人の見舞いの品をもって私の泊まっている宿へいらっしゃり、そうして私にこうして私があなたを離れた理由を問い詰めようとなさっていらっしゃる。あなたはそういう方なのよ。それは私の口からはいえないことだわ。今もいえないと思っていたし、あのときも、そうだったのよ」

私はいま自分の言葉にして、先日読んだ『続明暗』の記憶を頼りにこう書いた。いつそういったか、それまでにどういう情景があるか、ということは、ともかくとして、まずこのことを私は述べておくことにする。清子はこれだけいって東京へ帰っていく。津田が気が付いたときには、彼女が去ったあとである。彼女がいったことは、漱石の『明暗』、つまり百八十八章までの部分において、すべて読者の前に、さらけ出していたところの津田の性向である。延子と結婚したり、吉川夫人の世話になったり、吉川夫人のいうなりになったり、それから何もかもである。彼は聡明であると、作者のお墨付きをもらっておきながら、あることが分かっていない。そのことにはすこしも気がついていない。延子はそのことを感じていないというわけではないが、よくは分かっていない。分かるときが、もうすぐ到来するかもしれないが、そのとき、どんなふうに理解するであろうか。好男子で背が高くキメの細かい肌をした、この男はこの点では『それから』の代助みたいである。それで〈聡明〉ときている。みんなが見抜いているともいえることを、清子が見抜いていた、というだけのことにすぎない。そのことをきくために、こんなふうにして温泉に来ているということがそもそも問題なのだ、ということになるとすると、あまりのことに津田がすぐなっとく出来ることはむずかしいであろう。しかし清子のこのセリフは、確かに実に正確で妥当である。

 

私は滝野にまず、こう話した。