小島信夫の事故物件のような小説に付き合うのがしんどくなってきたので、今週は佐伯一麦の『ショート・サーキット 佐伯一麦初期短編集』に手を付けている。
佐伯一麦は、「端午」と「ショート・サーキット」という作品で二度芥川賞の候補になっているが、受賞はしていない。
今から見れば、佐伯一麦に与えておくのが正当だっただろうと思うが、「端午」の前に「木を接ぐ」という作品で海燕新人文学賞を受賞しているし、「ショート・サーキット」は野間文芸新人賞を取っている。必ずしも芥川賞が正しい(?)わけではないということだ。
別にこんな賞のことにこだわる必要はないのだが、新人作家にとっては、これから作家として食べていくために、何かの賞を取るというのは大事なことだろう。
佐伯一麦を読んでいると、どうしても沢木耕太郎の顔がチラついてしまう。端正な文体が何となく似ている。二枚目っぽいルックスも共通する。女にモテそうだ。ていうかモテてる。
しかし佐伯一麦の初期の私小説を読めば明らかなとおり、彼の最初の結婚生活は決して幸福ではなかった。二十一のときに、スナックのアルバイトをしていた同い年の彼女と同棲し、
すぐに子供ができて入籍し、二十代前半で三人の子供ができる。
生活は苦しく、職を転々とするが、電気工としての定職を得る。そのときの生活が「端午」や「ショート・サーキット」に書かれている。
夫婦は諍いが絶えず、子供も病気を持ち、妻が夜中にガス栓をひねったりもする。相当に陰惨な生活が描かれているのだが、不思議とそこにはじめっとした怨念や負の感情がこびりつくことはなく、それこそ沢木耕太郎のようなスタイリッシュさが感じられる。
もっとも、当然ながら暗さ、侘しさはある。しかしそれは決定的に破滅的な方向には行かない。それはやはり、文学というものが支えになっていたからだろう。私小説を書き続けることが精神の均衡を保つための安全弁のようなものになっていたからだろう。
「木を接ぐ」を書いた24歳の当時は、毛筆で原稿を書いていた。
応募作は、仕事に出かける前の朝方に書き継いだ。前日長く振動ドリルを使った朝は、手の震えが止まらずペンがうまく握れない。そこで苦肉の策として慣れぬ筆を採用することにした。(これじゃまるで年寄りの写経の図じゃないか)と自分の姿に苦笑させられたものだが、今憶い返してみると、両者にさしたる違いはないような気もする。
この頃に、電気工の作業中に当時まだよく知られていなかった発がん性物質のアスベストを吸い込み、その後ずっと喘息に苦しむことになる。
佐伯一麦の作品を読んでいると、彼が小説を書くことでギリギリのところで正気を保っていたマラソンランナーのような精神に伴走しているような感覚を味わうことができる。これはなかなかスリリングな読書体験ではある。
「ショート・サーキット」には同郷の作家眞山青果の「南小泉村」の仄かな影響を感じた。