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第三の新人

今読んでいる水声社の「小島信夫批評集成4」の月報に、鶴見俊介が寄せた文章があり、これが書いた人の困った顔が浮かんでくるようで面白かったから引用する。

小島信夫は戦後に第三の新人として現れた。「小銃」から私は好んで読んできた。彼は長生きして、『抱擁家族』などに壊れた家庭のこと、アメリカ人の介入などを書くようになり、やがて作家評伝の連作を書いた。そのいくらかを…読んでおどろいた。もはや、「小銃」のころのひきしまった文体ではない。だらだらした、他人、読者にさえも警戒心のない、間の抜けた文体で…形をかえりみない、だらだら続く演説。第三の新人として現れた「小銃」から遠くまで来た。

これを読むと、鶴見俊介は小島信夫のことを〈第三の新人〉の一人というステロタイプ化されたイメージとしての知識だけでとらえ、「小銃」だけは読んだが、「抱擁家族」も読んでいないことがわかる。

「小銃」のイメージのまま、「私の作家評伝」の文章を読んで、その違いに驚いたのであろう。鶴見俊介が「残光」を読んだらどんな感想を述べただろうか。どこかにあるのだろうか。

ちなみに小島は〈第三の新人〉という呼び方を半ば蔑称のようにとらえていたようで、こんな文章を書いている。以下に引用します。

分類 ―「第三の新人」とよばれて

 山本健吉氏の「新人論」を読んだ。特に「第三の新人」に対する解説はコンセツテイネイで、色々考えさせられ、ありがたいとも思った。

 いつの間にか「第三の新人」のワクの中に入りこんでしまった者の一人として、ぼくはぼくなりに思っていることがあるので、オコガマシイけれど、それを述べてみたい。

「第三」という言葉は最初は、第一、第二、第三、第四の一つとして、つまり序数の一つとして用いられたのであろう。それに「第三の男」といった意味ありげな、探偵小説的な、いいかえれば「探し物」をするという感じで用いられたのであろう。

 ところが、しまいには「ゴミ箱」のようなものになってしまった。この箱の中には何でも放りこめる。そしてそれはたぶんゴミだ。いや初めからゴミのつもりで入れているのだ、といった調子が出てきたように思われる。

 そしてその「ゴミ箱」の横とそこには穴がある。ゴミ箱をかきまわしているうちに、適当に横へはみ出たり、底から落ちたりするだろう。その落ちるゴミの数を数えてみようではないか、といったふうのところもなくはなかった。そうしたことに、ぼくがあれこれいう必要はない。この多忙なマス・コミの世の中での当然の成り行きで、「時間」がすべて解決してくれるだろうし、そのこと自体は、けっきょく何ほどのことでもない。そしてその扱いを受けた責任はぼくたち一人一人にあることも否めない。

 山本氏の過褒ともいうべき解説をありがたいと思うし、これほどの理解あるベンタツの言葉はないと思うが、分類というものは、ふしぎなもので作家のほうからいうと、分類するとなると、自分の入る分類の箱には、自分一人しか入らない。だからといって分類は、箱の中になるべく多く入ることに興味があるのであり、また分類は人間の獲得した知恵であるので、作者が何と思おうと、それはそれで当り前のことであろうし、分類をしたい、精神的、生理的欲求も認めざるを得ない。しかし分類は時によるとちょっと暴力に似たものを感じさせなくもない。そしてその「暴力に似たもの」の悲しみを一番知っている者は、やはり作者の方であることも事実だ。ぼくは恥ずかしいことだが「第三」という言葉を聞くと、ちょっと寒気がするくらいになっていた。

 山本氏も、こんど「第四」という呼称を作られて「第三」の意味も正常な意味に戻ってきたわけである。

 個人的なことだが、ぼくはぼくで、いろいろな、だれにもエイキョウを及ぼさぬ、勝手な分類を楽しんでいる。ぼくは戦争直後から「風刺文学」というものをいつも念頭に置いてきた。ぼくは多少その理論をもっているが、その中に、洋の東西を問わず先輩、後輩の作家の名をつらね、ホクソ笑んでいる。それから、「時間文学」だとか、「象徴文学」だとか「二十世紀文学」だとか、色々分類する。しかしもちろんそれは、それら先輩、後輩を尊敬する意味をもっている。僕は自分からの分類ヘキをこうして満足させている。ぼくも分類ヘキがこうじて「風刺文学運動」を起そうと思ったりしたものだ。しかしそんな運動をおこすと、どうもインチキな要素が入ってきそうで、自らが風刺の対象になりかねないと感じるので、ぼくは一人でやることに決めている。(昭和二十八年)