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私の作家遍歴

『私の作家遍歴』は、小泉八雲から始まって同時代のロシアの作家(ゴンチャロフツルゲーネフら)へと遍歴し、そこからドストエフスキートルストイのこと(主にトルストイのこと)を延々と語り始めるのだが、印象的な文章を備忘録的に抜き出しておく(ところどころ細かいところが不正確な引用もあります)。

ドストエフスキーは、困窮文学者救済組合から金を借りてパリとベルリンのてんかん専門病院の診察を受けるためにはじめてロシアを離れた。このときバーデン・バーデンでルーレットで無一文になった。1863年の話である。

 

この頃は、シベリアで得た最初の妻が病床にあり、一方追いかけている女がいたということはある。生活が不如意だということよりも、彼のルーレットへの熱情は、女を追いかけるそれと、同じようなものであったといった方がいいかもしれなかった。…一寸先は闇であるが、必ず勝てるはずだ、何故なら自分は勝てる方法を心得ているのである。確実に勝つやつがおり、自分もその秘訣が分っている。分っちゃったのである。だからやらなければならないし、金は貸してもらう必要がある。ドストエフスキーが手紙で泣言をいいながら金を借りたり、最後の金さえも妻から奪ってしまうのはそのやり方によるのである。…時々、虫が騒ぎ出す。賭博場へ出かけたのもシベリアの監獄へ入ったのも、彼自身の中の虫が追いやったのであって、皇帝ではない。生きているという感じはそこのところの身を焼くような危険さにある。賭博がもっとも単純で純粋なものだというのに過ぎないのである。

 

 

ペトラシェフスキー事件と同じようなといってもいいような、理想共産社会を作る太平天国運動が挫折したのは、スペシネフたちがペテルブルグでつかまった翌年のことである。

またスペシネフをモデルにしたというスタヴローギンの子分たちの二人が、アメリカへ渡り、納屋で干草の中で眠りながら夢見ていたのは、おそらく太平天国と似たものであったろう。そのことはたしか『悪霊』に出てくる。とにかく夢は破れた。その結果、違う道を歩むためにロシアに帰ってくる。私はボスのスタヴローギンについてもそうでないとはいわないが、この子分たちのことに思いをいたすと、胸がこみあげてくる。

 

 

私は一般的に作者の思いがこめられねば人物は生きるものではなく、その人物は、実は自分自身なのだ、という気持がなければ、満足なものは出来ない、と思うのだが、アンナ(「アンナ・カレーニナ」の主人公)の行動こそ、トルストイの行動の軌跡とまったく同じものだ、と思わざるを得なくなったからである。

 

 

あるとき人間が、ほんとうにこの瞬間は生きているという手ごたえをおぼえ、自分が今ここにちゃんと存在していると思えるとする。生甲斐をおぼえるということだ。子供のときには、時々刻々おそらく生甲斐をおぼえることばかりであったようだ。そのあと生き甲斐をめぐって妙なことが生じてくる。社会というものが、自分のまわりにとりまいていることに気づく。生き甲斐はその社会生活との中で感じなければ何にもならないことが分ってくる。どちらにしても人間は、手応えのある生きがいを感じなければ、しあわせではない。いずれにしても、肝心なことは、自然的で、まやかしなく、知識や、他人におそわったり、西欧の先進国から教わったりしたようなことではなくて、自分の生まれ育った土地で、自分がほんとうに、太陽が毎日東からのぼるのに、今朝はじめてその事実に気が付いたように、おそらくすべての鳥が朝になると肌でかんじることでなければならない。自然に、ということだけに意味がある。それこそが自分と世の中と世界とがつながっているという事実のメドだ。

 

 

ドストエフスキーの人物は処女作の「貧しき人々」のジェーヴシキンも、「罪と罰」のラスコリニコフも誰もかれも、作者に愛されている人物はみんなまるで死刑台に立っているように心の中でドラマを演じる。もっともほんとに死刑台に立っているわけではないから相手の人間がまわりにいる。その人たちといっしょになって自分の中のドラマを演じる。

 

「貧しき人々」の最後の部分、ジェーヴシキンが去っていく若い女に向かって書いた手紙を読んでいると、わずかの時間の間に何もかも言い尽くさねばならなぬという思いにかられている男のことが想像されるだろうと思う。彼は四十七歳になる。

 

つい先だってこの「貧しき人々」の話をして、そのときこの手紙を朗読したのでした。この処女作を原稿で読んだ男が読みながら泣けてきて、「いったいなんというやつだ、これを書いたやつは!」と叫んだということになっているのですが、残念ながら私も泣けてくるような気がして、みっともないので、時々深呼吸をしました。

 

 

先日も私の昔からの友人が、ロシアのことばかり書いていやがって、難しくて面白くないというようなことをいった。…私はそこですぐいってやった。あんまり忙しい気分で読むな。一つ情報を得た、というようなつもりで読んでくれるな。ぼくの書いていることは、心をひそめて読むと、一か月や二か月や、あるいは一年か二年か一生かかって考えつづけないわけにはいかないようなこととはいわぬまでも、そういうことにふれるようなことを力を尽くして書いているのだ。今きみの心の中にあってもがき、何か手っ取り早く得になることはないか、と思ってあせっているものに一番近いところにあるのが、ぼくの書いていることなのだ。

 

いわゆる伝記とか、いわゆる小説なら、もっと自分の要求にそったものだ、というつもりだろう。だが、ぼくにいわせるなら、そこにオトシアナがあるのだ。小説だってちゃんとしたものは、人生と同じように表面だけをかすって読むものには、何も分らせてはくれないものである。面白おかしい伝記は、その人物もまた、あなたや私と同じ人間であったことを忘れさせてしまう。その外面の中に真実はあるのだが、伝記としてまとまったときに、たいていは真実は抜け去ってしまっている。都合よく出来上がってしまうからだ。