War Is Over

 if you want it

三島と小島

抱擁家族」は1971年に演劇作品化もされている。

その脚本と演出を手掛けることになった八木柊一郎が原作者の小島信夫を訪問した時の手記が残っていて興味深い。

八木は正直原作者に会うのが気が進まず、どうせ俺の小説をどんな芝居にするつもりなんだという気持をぶつけられるに違いないと予想し、それにたいする理論武装をしていったという。

ところが開口一番、小島がいったのはこうだった。

「『抱擁家族』は、もともと演劇的なところがあるんです。舞台の上の芝居の進行のように、表現がその場その場で相対的なんですね。」

八木は呆気にとられ、安心するよりいささかあわて気味に、彼の用意してきた「抱擁家族論」を一席ぶつ事になってしまった。

それをうけて小島も自作の作品論を展開していったが、その考え方は八木のものと不思議なほど一致していたという。

このとき、小島さんはただ、私の理屈に調子を合わせてくれたのだと思うことも出来たのだが、全部そういう風に話がすすんだのではないと、私は信ずることが出来た。小島さんの自作の解説は、透明で、いやみというものがなかった。といって、シニカルにかまえるのでもなく、私はたしかに、小島さんの肉声をきいていた。

…小島さんと話をしていると、何でもない普通のことが、いつの間にかするりと、それも短時間の間に、とても微妙で本質的な話に移行してしまうことに私は気づいた。それは、人生論というより文学論、文学論というより表現論といったほうがいいような、創作の根本姿勢についての話なのだが、言葉が急に難しくなるというわけではない。小島さんは、どこまでいっても易しい言葉しか使わない。だから、私としては気楽にきいたり答えたりしているうちに、ふと、小島さんが、ものを書く人間がものを書くにあたってもっとも苦労するところ、もっともつらいところの領域に話をすすめていることに気づき、はっとしてしまうのである。

1970年くらいの小島は、舞台の演出を手掛けたり(結局「抱擁家族」の演出は小島自身がやった)、熱心に舞台芸術に入れ込んでいて、『どちらでも』や『一寸さきは闇』などの戯曲も書いている。

ちょうど舞台の演出をつけている最中に、三島由紀夫の割腹自殺のニュースを聞いた小島は、ただ一言「ハタ迷惑な!」といって顔をしかめただけだったという。

小島さんの話し方には、論争や演説の調子は全くなく、教えり喧嘩を売ったりする調子はさらにないが、ただ淡々として語るというのでもない。つまり、小島さんの内なる情熱というものの在り方は、説明がはなはだ難しいのだ。誤解をおそれずにいえば、小島さんの話し方には、一種の愚痴っぽさというものがあり、但しその愚痴っぽさは、ひとに不快をあたえないものだといえば、すこし説明できたことになるだろうか。

――三島由紀夫というのはつまり、小説の上で大芝居を打つわけですよ・・・。

というような言葉で小島さんが話しはじめたとする。けれど小島さんは、三島の立場を真っ向から否定するわけではない。三島由紀夫のもっていたつらさ自体には十分な価値を与え、なおかつ、三島が大芝居を打つという方向にしか出口を見出し得なかったこと、いわば男々しさのなかの女々しさを糾弾するのに、小島さん独特の愚痴っぽさは極めて強い効果をもつのだ。小島さんのなかにある女々しさは、文学というようなものにかかわってしまった者が避けることのできないものに私には見え、三島のなかの女々しさは、ただの女々しさに思われてくるわけである。…

(八木柊一郎「現代の文学16」月報17/1972年12月より)