INSTANT KARMA

We All Shine On

Synpathy For Brian

中学に入ってまずビートルズが大好きになった。ローリングストーンズは、ビートルズのライバルとして名前は知っていたが、ビートルズを聴いていれば十分満たされていたので積極的にストーンズを聴く気にはならなかった。

初めてストーンズの曲を聴いた記憶は、FM東京かどこかで、シンセサイザー奏者で山下達郎のバックバンドでも知られる難波弘之氏がMCをしている番組があって、そこでストーンズの特集をやっていたのをカセットテープにエアチェックした。たぶん中二くらいの頃だと思う。

当時の僕の耳には、「悪魔を憐れむ歌」の最後の「フーッフー」という裏声のコーラスがやけに不気味に響いた。それから「2000 Light Years From Home」の冒頭のピアノがちょっと怖かった。全体的に、何かダークなものを感じた。

高一くらいの頃に、民放の深夜番組で六十年代のロック特集(海外のドキュメンタリー)をやっていたのを録画した。この番組の影響は大きい。ジミヘンやドアーズが動いているのを見たのはこの番組だった。

ストーンズの映像もあって、六十年代のストーンズはやはり薄汚くてダークな印象だった。特にブライアン・ジョーンズの虚ろな目とビル・ワイマンのこけた頬が怖かった。ミックもキースも人間というより妖怪のようだった。

ストーンズの曲で心底いいと初めて思ったのがロバート・ジョンソンのカバーで「Let It Bleed」に入っている「むなしき愛 Love In Vain」、そして「ブラウン・シュガー」だ。

それからは山川健一の本を読んだりしながら例の四枚のアルバムを聴きまくった。

初期のストーンズのライブは今ユーチューブでも見れるが、ほとんど暴動スレスレの雰囲気が客席に充満しており、ビートルズの熱狂とも少し肌合いの違う不穏さみたいなのが画面越しにも伝わってくる。現場にいればその異様さはもっとリアルだっただろう。

ビートルズが来日して武道館でコンサートを開くだけで日本国家全体がピリピリとしたくらいだから、当時のストーンズなど爆発物を持ち込むようなものだっただろうし、第一ストーンズを聴くような聴衆はビートルズに比べればほとんど無に等しかっただろう。

ストーンズが本当に危険な雰囲気を纏っていたのはやはりブライアン・ジョーンズが死ぬまでの間だったと思う。ミックもキースも不良ではあるが、八十歳近い今でも元気で活動していることからも分かるように、根本のところではヘルシーで肯定的な人間である。

彼らと違って、ブライアン・ジョーンズは根本のところで不健全で否定的な人間だったのだと思う。シド・バレットにも似たものはあるが、ブライアンには若くして死ぬことを運命づけられていたかのような破滅的な匂いが漂っている。

「悪魔を憐れむ歌」の頃には、もうブライアンはストーンズの曲作りにもレコーディングにもほとんど関わっていなかった。しかし「ベガーズ・バンケット」にはブライアンの最後の妖気みたいなものが籠っている。それは稀釈されているだけにより毒性を増しているかのようである。

後にそんな僕が大人になって、雨上がり決死隊の蛍原を見たとき、最初に頭に浮かんだ単語は「ブライアン・ジョーンズ」でしかなかった、と言ってもたぶん許してもらえる。