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昭和史発掘

松本清張の力作『昭和史発掘』(文春文庫、新装版、全9巻)を読んでいるが、面白い。

この作品は折に触れて何度も読み返しているが、読み返す度に新たな発見があり興味深い。

彼が週刊文春にこのシリーズを連載し、ちょうど二二六事件について筆を進めていた最中に、三島由紀夫の自決事件が起きた。

 

松本清張三島由紀夫の間には禍根がある。

新潮社の日本文学全集シリーズの編集委員をやった三島は、収録作家の中に清張を入れることを頑なに拒んだ。川端や谷崎に説得されても意思を曲げなかった。理由は、「清張のどこに文体があるのか」という抽象的なものであった。

三島には、自分の感性に反するものを極端に毛嫌いするという悪い癖があって、深沢七郎が出てきたときにも小島信夫に対しても、当初は評価していたが、後に気持が悪い、理解できないといって毛嫌いしている。

清張の場合は、美学的に気に入らないというより、通俗小説であり、芸術至上主義的な観念小説を文学のあるべき姿と思いこんでいた三島の一方的な拒絶であった。

このことを伝え聞いた清張が、心穏やかであったはずはない。三島事件の後にコメントを求められた清張は、自殺の原因は「才能の枯渇」であると切捨て、自決前の檄文は二・二六事件磯部浅一が書いた文章の模倣であり、現実生活能力のなかった三島は観念小説に走らざるを得ず、自らの観念の虜になって「ミイラ取りがミイラになった」のだと激烈に批判した。

 

深沢七郎小島信夫も、三島の死に対しては非常に冷ややかな見方をしているが、清張にはそれを超えた怨念が感じられる。

清張は作家としてデビューするまでの自叙伝『半生の記』も書いているが、これも遅咲きの作家のルサンチマンが濃密に込められていて、大変興味深い作品である。

『昭和史発掘』の中には、芥川の自殺、小林多喜二の虐殺、谷崎潤一郎佐藤春夫の夫婦譲渡事件などの文学史的事件も取り上げられていて、それぞれに清張の見解が縦横に述べられているのが見ものである。事実というものに徹底してこだわる一方で、未発見資料などを駆使した客観的事実の羅列の中に主観的な推理を滑り込ませ、読者を(悪い表現を使えば)洗脳してしまう、見事な〈松本清張ワールド〉が堪能できる。

松本清張がもし今、生きていたら、二十世紀末から二十一世紀初めの日本社会についてどんなものを書くのかに興味がある。幻の「平成史発掘」を妄想するのは愉しい作業である。