War Is Over

 if you want it

Dear Kuta

日曜日、朝から飼い猫が窓際でぐったりしていて、これはもういよいよだな、と思う。娘もそう感じたのかずっとそばにいた。自分もそばの机で土曜日に図書館で借りてきた松本清張『昭和史発掘』をずっと読んでいた。

妻が小さな段ボールに毛布を入れて寝かせたのを出て直接床に横たわっていた。食欲もなく、妻が買ってきた介護用流動食も顔を背けて受け付けない。土曜日には病院で点滴と注射を受けてきた。途中で何度か自分でトイレまで行ったが、出るものはほとんどなかった。娘が撫でるのも嫌がって、机の下に潜りこんで寝た。時々大きな声で三回くらいずつ鳴いた。身体の姿勢を変えるときに痛いのではないかと妻が言った。弱っているにしては大きなハッキリした声だった。老人が病床で「(身体が)痛い!痛い!」と叫んでいる感じに似ていると思った。もちろん人間の場合に付随する忌々しさや憎々し気な様子はまったくない。思わず声が出てしまうという感じだ。それだけに憐みが増す。

この一年くらい特にお喋りになって、よく鳴いて何かを訴えてきた。たいていは餌の催促だった。催促はするものの歯が駄目になっているので噛めず、胃袋に毛繕いの時に飲み込んだ自分の毛が溜まっていてあまり食べ物が入らず、いつもお腹を空かせているように餌の皿の前に坐りこんでいることが多かった。動物病院には一年半くらい前から週末に妻が連れて行っていて、すい臓と腎臓が弱っている、老猫にはよくある症状だと言われていた。下痢をして一日に何度も粗相をするので、家の床の至る所に排泄物が落ちていて、踏んづけることがよくあった。お父さん(僕)が踏んづけたときの不快そうな声が嫌いだと娘が言っていた。娘は踏んづけても黙って足を拭いてシャワーで流していた。

夜になっても机の下で身体を伸ばして横たわり時々姿勢を変えていた。動かなくなったので近づいて見るとお腹が微かに動いて呼吸しているのが分った。十時過ぎに就寝したが娘は長椅子で本を読みながら様子を伺っていた。夜中二時頃目を覚ましたら、妻が「(  )が死んだよ」と言った。起き上がって書斎に行き、妻と娘が交替で遺骸を抱いているのを眺めた。もう一匹の猫は気配を察しているのか、最後の日はいつものようにちょっかいをだすことはなく、今朝も遺骸の傍で大人しく坐っていた。

彼が我が家に来たのは2010年7月ころで(7月10日付の写真が残っている)、その時には生まれて半年くらいだったのではないか。ペットショップで売れ残っているのを妻が買ってきた。愛嬌のある顔立ちで、ベンガル特有の人懐こさがあってとても可愛かった。名付けたのは娘だった。若い頃は活発で、窓を開けたすきに外に飛び出したことが何度かある。妻がその度に捕獲しに行った。2011年3月11日の地震の時にも外に飛び出して向かいの家に行ったのを妻が捕まえた。捕獲用のネットも購入した。

それか半年くらいして、妻がまた猫を買ってきた(2011年2月19日付の写真が残っている)。今度はマンチカンで、マンチカンは犬でいうダックスフンドのように胴長短足の種だが、シードルはスタイルは普通の猫と余り違わなかった。大人しい性分で、彼がちょっかいを出すのに最後まで慣れない様子だったが、じゃれ合ったりよく身体をくっつけ合って寝た。こちらは数年で死んだ。元々身体が弱かったのと、家にある薬品のようなものを食べてしまったのが原因らしい。そのとき火葬したペット霊園に今日彼を連れて行き、その時と同じで、妻と娘が立ち会う。

彼のおかげで猫というものの可愛さ、美しさを知った。

存在しているだけで家族にとっての癒しだった。

今まで一緒にいてくれてありがとう。