ジム・モリソン詩集『The Lord ― Notes On Vision(神―視覚〔ビジョン〕についての覚書)』より。彼はこの詩集を1970年に自費出版で出し、知り合いに配って回った。
われらの崇めるところを見よ。
「演者たち」―子供、役者、賭博者。
子供や原始人の世界に偶然(chance)という概念はない。賭博者もまた異世界の力を感じそれに仕えている。偶然とは現代都市における宗教の遺物である。あたかも、劇場、しばしばそれよりも映画が、現代都市におけるシャーマニズム(巫術)であるように。
人間が建物を考案し、部屋の中に己れを閉じ込めたとき、最初は木々であり洞窟であった。
(窓は両側から見えるが、鏡は片側からのみである。)
鏡を通り抜け、窓を泳いで通り抜けることは決して出来ない。
部屋の中に迷い込んだ鳥や昆虫は、窓を見つけることは出来ない。なぜなら彼らは「窓」というものを知らないから。
窓の中を舞うスズメバチ、すぐれた踊子たちは、超然としており、われわれの部屋に入って来ようとはしない。
衰弱させる網を張った部屋
腫れ上がった肉の放つ緑の灯りの中に
愛の言葉が読み取れる
キナストンの花嫁は姿を見せないかもしれないが
彼女の肉の香りはそう遠くではない
赤熱の白さ
街の正午
疫病区の住民は死に絶える
(サンタ・アナの風は砂漠を通って来る)
鉄牢を引き裂き、堀に飛び込め
愛する俳優の水と、水分と、「湿り気」を求めて
性的均衡を取り戻した囚人は一人もいなかった。鬱、不能、不眠…会話、読書、ゲーム、音楽、体操で官能的衝動を紛らわせた。
驚くほどの余暇を証するものとして、囚人たちは自らの劇場を建てた。女形を強いられたある若い水夫は、すぐに「町」の寵児となった。というのも、このときまでに彼らは自らを町と称し、市長を選出し、警官や議員を選んでいたからだ。
眠りは夜毎に潜入する深海だ
朝、汗を滴らせ、喘ぎながら、刺すような眼で目覚めよ