ジム・モリソン詩集『The Lord―Notes On Vision』より
古代の共同体では「よそもの」は最大の脅威と感じられた。
出歯亀(voyeur;覗き屋)は自涜者であり、鏡は彼の記章、窓は彼の餌食だ。
男性器は小さな顔であり、盗人とキリストの三位一体を形成する
父と子と聖霊
鼻が壁に垂れ下がり
二つの半眼、悲し気な眼差しが
黙ってなす術もなく
勝利の無限の環を増殖させる
これらの乾いた秘密の勝利は、仕切られた小部屋で勝ち取られ、
牢屋で踏みつけられ、われわれの壁に栄光を与え、われわれの視界を変色させる
虚ろな空間の恐怖が
密室の封印を増殖させる
映画は女のものだと考えるのは誤りだ。映画は男が自分の慰みに作るものだ。
影絵芝居は、元々男だけが見ることを許されていた。男はスクリーンのどちらの側からも見ることができた。後に女にも見ることが許されたとき、女は影の側から見ることしか許されなかった。
現代の東洋では非常に多くの映画が作られている。映画は古来の伝習―影絵の新しい形態である。映画館はその模倣に過ぎない。インドや中国で生まれた影絵は、宗教儀式と関連しており、死者の火葬を中心とする祭祀と結びついていた。
映画の魅力は死の恐怖の中にある。
遊戯が死に絶えるとき、それは〈ゲーム〉になる。
セックスが死に絶えるとき、それは〈絶頂〉になる。
子宮の中でわれわれは目の見えない洞窟の魚だ。